幼いころ、誰もが一度は手にし、読んだことがある「童話」。
池田大作先生は、子ども達に希望を贈る童話を
これまで20作品以上にわたり、書き続けています。
ここでは、池田先生の創作童話の中から、代表的な作品を紹介します。
子どもたちを優しく見守るお月さまは、わがままばかり言って、お母さんを困らせている少女をお月さまの国に招待する。そこには、王女さまの姿をして元気に遊ぶもう一人の自分が。素直な自分になりたいと決意する少女の、心あたたまる物語。
南太平洋の島に、日本から移り住んだひろしは、島の少年アデルと大の仲良しに。しかし、昔この島での日本兵とアメリカ軍の争いで、アデルのおじいさんが犠牲になったことを知り、友情にヒビが入ってしまう。心の壁を越え、強い絆を結ぶ、友情の物語。
雪ぐにの港町に住む幼い兄妹は、傷ついた一羽の白鳥を助ける。ある時、「雪ぐにの王子」に出会い、「勇気」の大切さを教えてもらった二人は、白鳥を助けると約束する。看病の末、ついに白鳥は大空へ。勇気と希望溢れる物語。
ゆうきくん、つよしくん、ちえちゃんの仲良し三人組が、森の妖精と出会い、虹のひみつを探るため、「にじの山」の頂上を目指して進む。行く手に襲いかかる様々な困難を越えて進む姿から、大切な心を教えてくれる物語。
ネパールの少年・スールヤに届いた、助けを求める1通の手紙。手紙をもとに光のカプセルにのり、氷の塔に閉じ込められた王女を助けるため、光が失われた「光の谷」へ。大きな闇を打ち払い、心の奥に秘められたヒマラヤのような本当の勇気を得ていく物語。
当時21歳の池田大作先生は、昭和24年(1949年)、恩師である戸田城聖先生の経営する日本正学館(出版社)へ入社しました。
幼い頃から本が大好きだった池田先生は、雑誌作りに情熱を注ぎました。
その年の5月、日本正学館の主力雑誌であった少年雑誌「冒険少年」の編集長を任されることとなります。
「山本伸一郎」とのペンネームで編集長自ら筆を執り、子ども達に語りかける思いで、スイスの大教育家ペスタロッチの伝記を書き下ろしたこともありました。
池田先生は、後に、このことが童話を書く機縁になっていったのかもしれない、とも綴っています。
その後、戦後の経済混乱により、戸田第二代会長の事業が窮地に陥ります。
池田先生は「冒険少年」を「少年日本」に改題し工夫を重ねました。しかし、戸田先生は、出版事業を断念することを決め、「少年日本」も廃刊されることとなりました。
その後も、池田先生の子どもたちへの思いは、消えることはありませんでした。
子ども達の幸福のために、心の大地を耕し、正義、勇気、希望、努力、優しさの種を蒔いていく――
その挑戦の一つが童話の執筆であったのです。
池田先生の童話作品は、これまで24作品が19言語に翻訳され、世界各国で読まれている他、アニメ作品は2004年から26カ国・地域でテレビ放映され、大きな反響を呼んでいます。