池田大作先生の提言「教育の目指すべき道—私の所感」(1984年8月24日)が発表されてより30年。

創価学会教育本部では、「子どもの幸福」を第一義とする人間教育の潮流を広げてきました。

「教育実践記録」は、提言の中で提案され、教育者自身の教育力の向上を促進するためにスタートしました。以来、「教師が変われば子どもが変わる」「子どもが見える、授業が見える、自分自身が見える」をモットーに、日常の教育現場での出来事を綴る教育実践記録運動を展開。長年にわたって続けられてきた実践記録は累計で7万5000を突破。その内容は、授業への創意工夫や子どもの言動へのアプローチなど、多種多様です。

また、それらの記録の成果を発表する「人間教育実践報告大会」は、「子どもたちにとって最大の教育環境は大人自身」をモットーに、毎年、全国規模で行われているほか、各方面・県でも実施され、貴重な体験報告の数々が感動を広げています。

実践記録紹介1実践記録紹介2識者の声1識者の声2

発達障害の生徒が理解される学級へ

上履きを置く場所が覚えられない、トイレに行けない、自分の思いをうまく伝えられず騒ぎ出す……。これが「自閉症スペクトラム」を抱えるT君と担任の私との関わりの始まりでした。
彼の振る舞いを奇異に感じ、嫌がらせをする生徒も出始めました。保護者への対応にも追われ、忙しさと不安に眠れない日々を送りました。
彼のことを真剣に祈る中、「T君が幸せを感じられる学級・学校は、みんなも幸せを感じられるに違いない」と気が付きました。そして〝T君がいてくれてよかった〟とみんなが心から思える学級をつくろうと行動を起こしました。

まず、T君のご両親に私の思いを伝え、同意のもと、学級、学年、全校生徒へ向けて、彼のことを説明する機会を設けてもらいました。
私は訴えました。T君の実情。彼を理解し、力を貸してほしいこと。そして、みんなと同じ大切な生徒であることを。
生徒たちは真剣に聞いてくれました。また、同僚の先生方も進んで協力してくれるようになったのです。
周囲の反応が目に見えて変わりました。T君は、学校中の生徒から声を掛けられ、愛されるように。上級生が1年生に、「T君を困らせたり、いじめたりするのは人として最低だよ」と諭している場面を、何度も目にしました。
T君の保護者とも、小まめに連携を取り、1年が終わるころには「来年度も引き続き担任を」と信頼を寄せてくださるまでに。結局、3年間、担任を続けました。

悪戦苦闘の毎日でしたが、卒業の時に生徒や保護者の方々が「T君がいてくれてよかったね」と口々に語っていたことは、今も忘れられません。
その彼が昨年、成人式を迎えました。かつての同級生たちとうれしそうに肩を抱き合っている様子に涙が止まりませんでした。
「子どもの幸福が第一」との創価教育の精神を心に刻み、教育実践に励んでいきます。

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一筆箋で伝えた子ども達の長所

「この5分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。この1分があれば、苦闘のあの友に伝言を託すことができる。この一秒があれば、目であいさつできる」——この池田先生の言葉に触れた時、全身に衝撃が走りました。そして、先生のように、子どもたちを励ますことができないかと考え、思いついたのが、一筆箋に子どもの良いところを書いて保護者に渡すことでした。

私がかつて受け持ったクラスには、入学前から発達障害の傾向があったA君がいました。多動的であり、集中して授業を受けられず、友達に手を出すことも目立ちました。そんな彼の言葉の端々から、幼稚園時代は怒られてばかりだったことが分かりました。
そして、たくさんほめて、自信をもたせようと思い、A君に目を凝らしました。すると、良いところがたくさん見えてきます。けがをした女の子を保健室に連れて行ってあげたり、給食の容器をきれいに並べてくれたこともありました。これらを全て一筆箋に書き、母親に伝えました。
すると、「家での姿と全然違います」「ほめてあげたい」との返事が返ってきました。

一筆箋は、クラス全員の保護者に書きました。
体育の授業の後、用具の片付けをしてくれた子には、「自分からマットの片付けを手伝ってくれました。ご自宅でのご指導に感謝します」と。
私が書いたのは本当に短い手紙でしたが、後日、その子の父親から丁寧な手紙が。そこには「子どもが毎日、学校を楽しいと言っている」「家でも手伝いをするようになった」「幼稚園では休みがちだったのに、今は一言も休みたいと言わない」などと書かれていました。一筆箋をもらうと家の人がほめてくれるので、子どもたちはそれを心待ちにしていたというのです。
これからも、池田先生を手本として、子どもたちに〝万の力〟を与えられる教師でありたいと思います。

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草の根の実践記録運動にエール

牧口先生が日々、気づいたこと、思いついたことをメモされていたことは、よく知られています。
池田大作名誉会長は、1984年(同59年)に発表された教育提言「教育の目指すべき道——私の所感」の中で、牧口先生の実践を踏まえて、「教育実践記録」を積み上げていく日常的な取り組みの大切さを提起されました。

それを受けて、教育本部では地道に実践記録運動を重ねてこられたわけですが、私が注目するのは実践記録の〈テーマ性〉〈ストーリー性〉〈ドラマ性〉の3要素です。
私も何度か「人間教育実践報告大会」に参加させていただいていますが、一つ一つの教育実践は、これら3要素がちりばめられ、誰も手に入れることの出来ない事実をもとに草の根的に展開されているからこそ、参加した人の共感を呼ぶのだと思います。

私自身、OECD(経済協力開発機構)が進める教育改革の示唆と、日常の教育実践をつなぐ道を鋭意模索し、同じ俎上に載せる努力もしてきました。
池田先生は、教育とは未来を創り、時代を創る力であると、明言されています。長年、偉大なる先人の大いなる努力と学説に関心を持ち続けてきた私としては、創価教育学はまさに「先回りして後世に伝えている」との思いを、時とともに強くしています。
子どもたちの未来のために、教育本部の皆さんの「教育実践記録運動」に心からエールを送ります。

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日本の閉塞を破る力がここに

教育本部の皆さんが積み上げてこられた「教育実践記録」が5万事例(注:2014年8月時点では7万5千事例)に達したとお聞きしました。大変なことです。頭が下がります。この実践記録に裏付けられた「人間教育実践報告大会」の報告もそうですが、子どもたちに秘められている無限の可能性を開発するために、献身の努力をされている先生方に対し、敬意と感謝の心を禁じえません。

幸福の可能性を開く創価教育
子どもの幸福を願い、実践を貫かれた牧口初代会長以来の創価教育の精神を踏まえて教育実践記録の蓄積を提案された池田名誉会長は「最も身近にして、最も偉大な、子どもの幸福に即した真の教育改革の記録が、ここにある」と期待を寄せられているとも伺いました。全く同感です。私自身、「教育的真実の探究」こそ、今の日本の教育的閉塞状況を打ち破る力となると考え、訴えてきました。
昨年暮れ、長年、お世話になった武蔵大学の教員免許更新講習を担当した時には、「今、なぜペスタロッチーか?」をテーマに取り上げました。半世紀余にわたって私なりに研究を深めてきたペスタロッチーに立ち返りながら、教師としての教育観、子ども観、教師観を中心に教育の本質について話したのです。55歳、45歳、35歳になった教員が対象でしたが、実に熱心に聴講してくれました。真剣な質問も続出し、現場の教師が今、何を求めているのか。マニュアル的な講義ではなく、教育の本質について知的好奇心を強く持っていることを痛感しました。正直、このような教師がいる限り、「日本の教師」も見捨てたものではありません。

ペスタロッチーを継ぐ教師集団
このことは、同じく昨年12月に、私の住む埼玉県下の上尾市で開催された創価学会教育本部の「教育フォーラム2010」でも実感しました。「開こう心のとびら いのち輝け! 未来の宝」のテーマにふさわしく、発表された3題の実践は感動的でした。このフォーラムは、第18回埼玉県人間教育実践報告大会を兼ねたものでしたが、埼玉県内で18回も続いていること自体、素晴らしいことです。私もここ数年、続けて参加させていただいていますが、ここに民衆の自立と人類の平和を地球社会にもたらすための教育に生涯を捧げたペスタロッチーを受け継ぐ教師集団があるとの思いを強くしてきました。
このペスタロッチーの人生は、牧口初代会長の生き方そのものであり、教育本部の皆さんに通ずるものでしょう。池田名誉会長は常々、「教育のための社会」へのパラダイム転換、「21世紀を教育の世紀に」と訴えておられますが、21世紀こそ、未来の旅人であり、人類の宝である世界中の子どもたちが幸せに生きられる「教育の世紀」を構築しなければなりません。
民衆教育こそ社会変革の力との創価教育の精神、ペスタロッチーの精神を受け継ぐ教育本部の先生方のご努力が続く限り、子どもたちの未来、日本と世界の未来は安心だと期待してやみません。(2011年3月)

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教育本部 教育本部の活動

池田大作先生の提言「教育の目指すべき道—私の所感」(1984年8月24日)が発表されてより30年。

創価学会教育本部では、「子どもの幸福」を第一義とする人間教育の潮流を広げてきました。

「教育実践記録」は、提言の中で提案され、教育者自身の教育力の向上を促進するためにスタートしました。以来、「教師が変われば子どもが変わる」「子どもが見える、授業が見える、自分自身が見える」をモットーに、日常の教育現場での出来事を綴る教育実践記録運動を展開。長年にわたって続けられてきた実践記録は累計で7万5000を突破。その内容は、授業への創意工夫や子どもの言動へのアプローチなど、多種多様です。

また、それらの記録の成果を発表する「人間教育実践報告大会」は、「子どもたちにとって最大の教育環境は大人自身」をモットーに、毎年、全国規模で行われているほか、各方面・県でも実施され、貴重な体験報告の数々が感動を広げています。

  • 実践記録紹介1
  • 実践記録紹介2
  • 識者の声1
  • 識者の声2

上履きを置く場所が覚えられない、トイレに行けない、自分の思いをうまく伝えられず騒ぎ出す……。これが「自閉症スペクトラム」を抱えるT君と担任の私との関わりの始まりでした。
彼の振る舞いを奇異に感じ、嫌がらせをする生徒も出始めました。保護者への対応にも追われ、忙しさと不安に眠れない日々を送りました。
彼のことを真剣に祈る中、「T君が幸せを感じられる学級・学校は、みんなも幸せを感じられるに違いない」と気が付きました。そして〝T君がいてくれてよかった〟とみんなが心から思える学級をつくろうと行動を起こしました。

まず、T君のご両親に私の思いを伝え、同意のもと、学級、学年、全校生徒へ向けて、彼のことを説明する機会を設けてもらいました。
私は訴えました。T君の実情。彼を理解し、力を貸してほしいこと。そして、みんなと同じ大切な生徒であることを。
生徒たちは真剣に聞いてくれました。また、同僚の先生方も進んで協力してくれるようになったのです。
周囲の反応が目に見えて変わりました。T君は、学校中の生徒から声を掛けられ、愛されるように。上級生が1年生に、「T君を困らせたり、いじめたりするのは人として最低だよ」と諭している場面を、何度も目にしました。
T君の保護者とも、小まめに連携を取り、1年が終わるころには「来年度も引き続き担任を」と信頼を寄せてくださるまでに。結局、3年間、担任を続けました。

悪戦苦闘の毎日でしたが、卒業の時に生徒や保護者の方々が「T君がいてくれてよかったね」と口々に語っていたことは、今も忘れられません。
その彼が昨年、成人式を迎えました。かつての同級生たちとうれしそうに肩を抱き合っている様子に涙が止まりませんでした。
「子どもの幸福が第一」との創価教育の精神を心に刻み、教育実践に励んでいきます。

「この5分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。この1分があれば、苦闘のあの友に伝言を託すことができる。この一秒があれば、目であいさつできる」——この池田先生の言葉に触れた時、全身に衝撃が走りました。そして、先生のように、子どもたちを励ますことができないかと考え、思いついたのが、一筆箋に子どもの良いところを書いて保護者に渡すことでした。

私がかつて受け持ったクラスには、入学前から発達障害の傾向があったA君がいました。多動的であり、集中して授業を受けられず、友達に手を出すことも目立ちました。そんな彼の言葉の端々から、幼稚園時代は怒られてばかりだったことが分かりました。
そして、たくさんほめて、自信をもたせようと思い、A君に目を凝らしました。すると、良いところがたくさん見えてきます。けがをした女の子を保健室に連れて行ってあげたり、給食の容器をきれいに並べてくれたこともありました。これらを全て一筆箋に書き、母親に伝えました。
すると、「家での姿と全然違います」「ほめてあげたい」との返事が返ってきました。

一筆箋は、クラス全員の保護者に書きました。
体育の授業の後、用具の片付けをしてくれた子には、「自分からマットの片付けを手伝ってくれました。ご自宅でのご指導に感謝します」と。
私が書いたのは本当に短い手紙でしたが、後日、その子の父親から丁寧な手紙が。そこには「子どもが毎日、学校を楽しいと言っている」「家でも手伝いをするようになった」「幼稚園では休みがちだったのに、今は一言も休みたいと言わない」などと書かれていました。一筆箋をもらうと家の人がほめてくれるので、子どもたちはそれを心待ちにしていたというのです。
これからも、池田先生を手本として、子どもたちに〝万の力〟を与えられる教師でありたいと思います。

牧口先生が日々、気づいたこと、思いついたことをメモされていたことは、よく知られています。
池田大作名誉会長は、1984年(同59年)に発表された教育提言「教育の目指すべき道——私の所感」の中で、牧口先生の実践を踏まえて、「教育実践記録」を積み上げていく日常的な取り組みの大切さを提起されました。

それを受けて、教育本部では地道に実践記録運動を重ねてこられたわけですが、私が注目するのは実践記録の〈テーマ性〉〈ストーリー性〉〈ドラマ性〉の3要素です。
私も何度か「人間教育実践報告大会」に参加させていただいていますが、一つ一つの教育実践は、これら3要素がちりばめられ、誰も手に入れることの出来ない事実をもとに草の根的に展開されているからこそ、参加した人の共感を呼ぶのだと思います。

私自身、OECD(経済協力開発機構)が進める教育改革の示唆と、日常の教育実践をつなぐ道を鋭意模索し、同じ俎上に載せる努力もしてきました。
池田先生は、教育とは未来を創り、時代を創る力であると、明言されています。長年、偉大なる先人の大いなる努力と学説に関心を持ち続けてきた私としては、創価教育学はまさに「先回りして後世に伝えている」との思いを、時とともに強くしています。
子どもたちの未来のために、教育本部の皆さんの「教育実践記録運動」に心からエールを送ります。

教育本部の皆さんが積み上げてこられた「教育実践記録」が5万事例(注:2014年8月時点では7万5千事例)に達したとお聞きしました。大変なことです。頭が下がります。この実践記録に裏付けられた「人間教育実践報告大会」の報告もそうですが、子どもたちに秘められている無限の可能性を開発するために、献身の努力をされている先生方に対し、敬意と感謝の心を禁じえません。

幸福の可能性を開く創価教育
子どもの幸福を願い、実践を貫かれた牧口初代会長以来の創価教育の精神を踏まえて教育実践記録の蓄積を提案された池田名誉会長は「最も身近にして、最も偉大な、子どもの幸福に即した真の教育改革の記録が、ここにある」と期待を寄せられているとも伺いました。全く同感です。私自身、「教育的真実の探究」こそ、今の日本の教育的閉塞状況を打ち破る力となると考え、訴えてきました。
昨年暮れ、長年、お世話になった武蔵大学の教員免許更新講習を担当した時には、「今、なぜペスタロッチーか?」をテーマに取り上げました。半世紀余にわたって私なりに研究を深めてきたペスタロッチーに立ち返りながら、教師としての教育観、子ども観、教師観を中心に教育の本質について話したのです。55歳、45歳、35歳になった教員が対象でしたが、実に熱心に聴講してくれました。真剣な質問も続出し、現場の教師が今、何を求めているのか。マニュアル的な講義ではなく、教育の本質について知的好奇心を強く持っていることを痛感しました。正直、このような教師がいる限り、「日本の教師」も見捨てたものではありません。

ペスタロッチーを継ぐ教師集団
このことは、同じく昨年12月に、私の住む埼玉県下の上尾市で開催された創価学会教育本部の「教育フォーラム2010」でも実感しました。「開こう心のとびら いのち輝け! 未来の宝」のテーマにふさわしく、発表された3題の実践は感動的でした。このフォーラムは、第18回埼玉県人間教育実践報告大会を兼ねたものでしたが、埼玉県内で18回も続いていること自体、素晴らしいことです。私もここ数年、続けて参加させていただいていますが、ここに民衆の自立と人類の平和を地球社会にもたらすための教育に生涯を捧げたペスタロッチーを受け継ぐ教師集団があるとの思いを強くしてきました。
このペスタロッチーの人生は、牧口初代会長の生き方そのものであり、教育本部の皆さんに通ずるものでしょう。池田名誉会長は常々、「教育のための社会」へのパラダイム転換、「21世紀を教育の世紀に」と訴えておられますが、21世紀こそ、未来の旅人であり、人類の宝である世界中の子どもたちが幸せに生きられる「教育の世紀」を構築しなければなりません。
民衆教育こそ社会変革の力との創価教育の精神、ペスタロッチーの精神を受け継ぐ教育本部の先生方のご努力が続く限り、子どもたちの未来、日本と世界の未来は安心だと期待してやみません。(2011年3月)


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