平和への熱き思い


一枚の鏡

画像:池田先生が長兄と分かち持った鏡の破片
池田先生が長兄と分かち持った鏡の破片
昭和20年(1945年)8月15日、終戦。池田大作先生は当時、17歳の青年であった。

戦地に応召されていた兄たちが相次いで復員してくるなか、敬愛する長兄・喜一の消息は途絶えたままだった。

終戦から2年が経とうとしていた昭和22年(1947年)5月。役所から突然届いた一通の書状。長兄の戦死公報だった。長兄の死を知った池田青年は、一枚の鏡を握りしめた。

母の嫁入り道具の鏡台の鏡が、なにかの拍子に割れたとき、居合わせた長兄と池田少年は二人して適当な大きさの破片を拾った。喜一は、その鏡の一片を戦地に携えていった。池田青年は、雨のように降る空襲の焼夷弾の炎を、もう一片の鏡を胸にかいくぐった。

戦死公報を受け取った母の背中は、小刻みに震えていた。罪のない母親をこれほど悲しませる戦争に、怒りが込み上げた。 池田先生の平和への思いと行動は、若き日の戦争体験を抜きに語ることはできない。

恩師の宣言

画像:横浜・三ツ沢競技場で原水爆禁止宣言を発表する戸田先生
横浜・三ツ沢競技場で原水爆禁止宣言を発表する戸田先生
第二代会長戸田城聖先生に出会い、10年を経た昭和32年(1957年)9月8日。池田大作先生(当時青年室長)は、戸田先生とともに、創価学会青年部による横浜・三ツ沢競技場での体育大会に出席していた。

最後に挨拶に立った戸田先生は、こう切り出した。

「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」

「たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります」

核兵器の使用は“魔もの”すなわち、人間の生命の奥底に潜む魔性のなせる業であり、ゆえに、核兵器は許容することのできない“絶対悪”である——。生命への深い洞察に基づく「原水爆禁止宣言」であった。

反戦平和と生命尊厳の潮流を創りゆくことを青年たちに託す、師の魂の叫び。若き弟子は、晩年の師の叫びを創価の平和運動の永遠の指針とすべく、深く心に刻んだ。

冷戦期の中ソへ

画像:ソ連・コスイギン首相と会談する池田先生
ソ連・コスイギン首相と会談する池田先生
原水爆禁止宣言からちょうど11年目の昭和43年(1968年)9月8日。池田大作先生(当時会長)は、中国との国交正常化の早期実現を訴える「日中提言」を行なった。提言は、日中の未来を憂慮していた心ある人々の間に大きな反響を広げる。国交正常化は、昭和47年(1972年)の日中共同声明によって実現をみた。

昭和49年(1974年)9月、池田先生はソビエト連邦(当時)を初訪問。冷戦のさなかの訪問を決意させたのは、中ソ間の緊張による戦争への懸念だった。「宗教否定の国に、どうして宗教家が行くのだ」という批判に池田先生は「そこに人間がいるからです」と答えた。

ソ連・コスイギン首相との会見に臨んだ池田先生は、単刀直入に聞いた。「ソ連は中国を攻めるつもりはあるのですか」

一民間人からの思いもかけぬ言葉に、コスイギン首相も率直に答えた。「中国を攻めるつもりも、孤立化させるつもりもありません」

同年12月、コスイギン首相の言葉を携え、池田先生は訪中。この時、重い病の床にあった首相・周恩来が池田先生との会見を強く希望した。周総理は、日中友好と世界の平和を池田先生に託す。「あなたが若いからこそ、大事につきあいたいのです」

国家や思想の違いを超え、平和へのバトンが手渡されたのである。

創価の平和運動

画像:「アボリション2000」の署名簿寄託式にて、1300万人の署名簿が青年部の代表から手渡された
「アボリション2000」の署名簿寄託式にて、1300万人の署名簿が青年部の代表から手渡された
昭和46年(1971年)の本部総会で池田大作先生(当時会長)は、「生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要なときはない」と、平和への行動を呼びかけた。これを受け、青年部は昭和48年(1973年)から「核廃絶1000万署名運動」を開始。庶民の平和への切なる願いは、昭和50年(1975年)に池田先生の手で国連事務総長に届けられた。

昭和57年(1982年)から創価学会と国連広報局の協力で開催された「核の脅威展」は、世界24か国を巡回し、のべ200万人以上が観た。核戦争の恐怖と平和の尊さを訴える展示は、東西冷戦下での核廃絶と緊張緩和への国際世論の形成に大きな影響を与えた。

冷戦終結後の平成9年(1997年)には核兵器全廃条約の締結を求める署名運動「アボリション2000」の署名簿寄託式にて、1300万人の署名簿が青年部の代表から手渡された。

このほか、国連を通じた難民救済活動への支援や、100巻に及ぶ戦争体験集をはじめとする反戦メディアの出版など——。第三代会長就任以来、池田先生が切り開いた平和行動の足跡は、創価学会の幅広い平和運動の大河として広がっている。

平和への行動

画像:アメリカの最高学府・ハーバード大学では、2度にわたって講演
アメリカの最高学府・ハーバード大学では、
2度にわたって講演
池田大作先生は昭和58年(1983年)の「平和と軍縮への新たな提言」を端緒に、毎年1月26日に「SGI(=創価学会インタナショナル)の日」記念提言として、平和提言を発表してきた。

冷戦期には、米ソ首脳会談の実現を訴え、近年では北東アジア共同体の構想を提起するなど、世界不戦の実現に向けた発言を続けている。

「時代はまさに、巨大なカオスに入ってきているといってよい。それだけに私どもは、仏法者として、そうしたカオスを鋭く冷静に見つめ、二十一世紀への血路を切り開いていかなければなりません。私が『平和と軍縮』の側面から幾つかの提言を試みるのも、そのような仏法者としての社会的、人間的使命、やむにやまれぬ心情からにほかなりません」( 「平和と軍縮への新たな提言」 )

平和をめざす「やむにやまれぬ心情」の発露は、提言にとどまらない。世界の識者と1600回を数える対話を重ね、海外の諸大学・学術機関で30回を超える講演を行ってきた池田先生は、その行動で平和への“善の連帯”を着実に広げてきたのだ。

1話 そこに人間がいる

2話 対話と行動の軌跡

3話 対話で開く平和の大道

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