サン・カルロス
大十字勲章

コロンビア

コロンビアを初訪問

画像:コロンビア大黄金展(1990年・東京富士美術館)
コロンビア大黄金展(1990年・東京富士美術館)
画像:コロンビア・ボゴタで子ども達と(1993年)
コロンビア・ボゴタで子ども達と(1993年)
1993年2月6日、池田大作先生はコロンビアを初訪問。ガビリア大統領(当時)ならびに同国文化庁の招へいによるものだった。

これに先立つ1988年9月、東京でコロンビアのドゥケ駐日大使(当時)と会談した池田先生は、日本とコロンビアの確かな相互理解のための、文化交流の促進を大使に提案。

その構想は、1990年、東京富士美術館(創立者・池田大作先生)での「コロンビア大黄金展」の開催(コロンビアの文化遺産の展示としては、日本初の大規模な開催)という形で結実していた。

それから3年を経た池田先生の訪問にあわせ、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」(コロンビア文化庁、同国立博物館、東京富士美術館共催)が、「コロンビア大黄金展」への答礼の意義をこめて首都ボゴタで開催される運びとなっていた。
画像:コロンビア・ボゴタで子ども達と(1993年)
コロンビア・ボゴタで子ども達と(1993年)
その構想は、1990年、東京富士美術館(創立者・池田大作先生)での「コロンビア大黄金展」の開催(コロンビアの文化遺産の展示としては、日本初の大規模な開催)という形で結実していた。

それから3年を経た池田先生の訪問にあわせ、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」(コロンビア文化庁、同国立博物館、東京富士美術館共催)が、「コロンビア大黄金展」への答礼の意義をこめて首都ボゴタで開催される運びとなっていた。

歴史と文化の「黄金郷」

画像:シモン・ボリバル像
シモン・ボリバル像
日本の約3倍の国土に、日本の約3分の1の人口の国民が暮らすコロンビア。インカやマヤの文明に匹敵するとも言われる、エル・ドラード(黄金郷)伝説を生んだ地である。

ヨーロッパの植民地支配に苦しんだ南米で最も早い、1810年に独立を宣言。1819年、「南米解放の父」シモン・ボリバルによるコロンビア共和国(大コロンビア。現在のコロンビア・エクアドル・ベネズエラ・パナマを含む)の樹立により、名実ともに、解放を勝ち取った。

美しき自然に抱かれた「蘭の国」

画像:首都・ボゴタ © CORBIS
首都・ボゴタ © CORBIS
画像:コロンビアで産出されたエメラルドの結晶原石
コロンビアで産出されたエメラルドの結晶原石
石油・石炭・エメラルドなど豊富な天然資源を有するコロンビアはまた、世界有数の切り花の生産量を誇る。カトレア(洋ラン)を国花とし、「蘭の国」とも呼ばれるゆえんだ。

犯罪発生率の高さなどの困難に直面しながらも、コロンビアの庶民は、変化に富んだ美しい自然に抱かれ、たくましく生きている。

カオスの中から、新しい創造が生まれる。古代文明の揺籃(ようらん)・コロンビアはまた、限りない未来性を秘めた国でもあるのだ。
画像:コロンビアで産出されたエメラルドの結晶原石
コロンビアで産出されたエメラルドの結晶原石
犯罪発生率の高さなどの困難に直面しながらも、コロンビアの庶民は、変化に富んだ美しい自然に抱かれ、たくましく生きている。

カオスの中から、新しい創造が生まれる。古代文明の揺籃(ようらん)・コロンビアはまた、限りない未来性を秘めた国でもあるのだ。

緊迫したコロンビア情勢

画像:コロンビア大統領官邸(写真提供/共同通信社)
コロンビア大統領官邸(写真提供/共同通信社)
画像:日本美術の名宝展が行われたコロンビア国立博物館
日本美術の名宝展が行われた
コロンビア国立博物館
コロンビア訪問の直前、アメリカのマイアミを訪問していた池田大作先生のもとに連絡が入った。コロンビアの大統領府からだった。

当時、コロンビアでは麻薬組織によるテロが激化。一般市民を含む多くの犠牲者が出ており、コロンビアを離れる外国人が後を絶たなかった。貴重な伝統美術品を展示するには、あまりにも危険な状況ではないか——。開催を予定していた「日本美術の名宝展」の実現を危ぶむ声があがっていた。

大統領府からの連絡は、池田先生への確認だったのだ。「池田会長は本当にコロンビアを訪問されるのですか?」

勇敢なるコロンビア人の一人として

画像:コロンビア大黄金展のテープカット
コロンビア大黄金展のテープカット
画像:日本美術の名宝展を鑑賞する池田先生
日本美術の名宝展を鑑賞する池田先生
連絡を受け、コロンビア入りを懸念する周囲に、池田大作先生は言った。

「名宝展はコロンビアへの友情の証です。友情は何ものにも代えられない。いかなる貴重な“物”よりも“友情”が大切です。何があろうと私は信義を貫きたい」

3年前の「大黄金展」に、国宝級の500点あまりを快く出品してくれた、コロンビアへの恩義。「友情には、相手が一番大変なときにこそ応えたい」——それが、池田先生の信念だった。

「私のことなら、何も心配はいりません。予定通り、貴国を訪問させていただきます。もっとも勇敢なるコロンビア人の一人として行動してまいります」

かくして、コロンビア訪問は断行されたのだった。
3年前の「大黄金展」に、国宝級の500点あまりを快く出品してくれた、コロンビアへの恩義。「友情には、相手が一番大変なときにこそ応えたい」——それが、池田先生の信念だった。
画像:日本美術の名宝展を鑑賞する池田先生
日本美術の名宝展を鑑賞する池田先生
「私のことなら、何も心配はいりません。予定通り、貴国を訪問させていただきます。もっとも勇敢なるコロンビア人の一人として行動してまいります」

かくして、コロンビア訪問は断行されたのだった。

コロンビアの「偉大なる友人」

画像:大統領府を訪問
大統領府を訪問
画像:叙勲式にて
叙勲式にて
「日本美術の名宝展」が開幕した1993年2月8日、池田大作先生にコロンビア共和国の最高勲章である「サン・カルロス大十字勲章」が授与された。

池田先生への叙勲は、首都ボコタの大統領府で、ガビリア大統領(当時)から池田先生に親授されるという、きわめて異例のかたちで行われた(外相からの授与が通例)。

サニン外相(当時)は、大統領からの親授は、「(池田先生を)コロンビア共和国の『偉大なる友人』として遇している証」であると語った。

「私は友情と報恩を重んずる」(シモン・ボリバルの言葉)。池田先生の信義の行動が、コロンビアとの固い“友情の絆”を結んだ瞬間だった。
画像:叙勲式にて
叙勲式にて
サニン外相(当時)は、大統領からの親授は、「(池田先生を)コロンビア共和国の『偉大なる友人』として遇している証」であると語った。

「私は友情と報恩を重んずる」(シモン・ボリバルの言葉)。池田先生の信義の行動が、コロンビアとの固い“友情の絆”を結んだ瞬間だった。

サン・カルロス大十字勲章 叙勲式

画像:謝辞を述べる池田先生
謝辞を述べる池田先生
画像:サン・カルロス大十文字勲章
サン・カルロス大十文字勲章
コロンビアが誇るエメラルドの緑と金の国章が輝く、サン・カルロス大十字勲章。池田大作先生への叙勲決議書には、こう記されている。

「池田大作氏は、SGIの会長として、現代社会の最重要課題である『平和』の保全と推進に卓越した業績を残してきた人物である」「多くの人々を魅(ひ)きつける先見のリーダーとして、『人物の協調の実現』という使命の達成に献身している」

池田先生は謝辞のなかで、「コロンビア市民であるということは、“自由”と“粘(ねば)り強さ”と“勇気”の国に属するということである」とのサンタンデル初代大統領の言葉を引き、自身もまた、一人の「誇り高きコロンビア市民」「勇敢なるコロンビア市民」として戦いたいと述べた。
画像:サン・カルロス大十文字勲章
サン・カルロス大十文字勲章
池田先生は謝辞のなかで、「コロンビア市民であるということは、“自由”と“粘(ねば)り強さ”と“勇気”の国に属するということである」とのサンタンデル初代大統領の言葉を引き、自身もまた、一人の「誇り高きコロンビア市民」「勇敢なるコロンビア市民」として戦いたいと述べた。

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