ロゴ:創価学会
墓地公園・納骨堂のご案内

師恩の碑

師弟の語らいを永遠に

2010(平成22)年、創価学会創立80周年、池田大作先生・第三代会長就任50周年を迎える5月3日に建立されました。桜御影石に1954(昭和29)年8月16日、厚田の浜辺で世界平和実現への展望を語り合う恩師・戸田城聖先生と若き日の池田先生の姿をレリーフ(浮き彫り)にしています。碑の形は、厚田のルーラン海岸にある洞窟を形にした奇岩をモデルにしています。「ルーラン」とはアイヌ語で「神の通る道」という意味で、厚田の名所に。碑の下部には「師恩に報ず」との池田先生の碑文を刻んでいます。※現在、ルーランの近くに行くことはできません

【碑文】
忘れもしない一九五四年八月十六日 私は初めて
恩師・戸田城聖先生の故郷 厚田の天地に立った
夕日に輝く厚田の浜で 恩師は私に厳然と言われた
「君は世界の広宣流布の道を開くのだ」
民衆の幸福のために 生涯をささげた
恩師の遺言であった
恩師の崇高な精神を世界に宣揚しゆくことが
弟子たる私の使命であると生命に刻んだ
以来 道なき道を切り開き
弟子としての模範を示すべく
ひたすら師恩に殉ずる思いで戦い抜いてきた
弟子としての私の人生に一切悔いはない
恩師の構想のすべてを実現したからだ
恩師の精神を顕彰する“生死不二の永遠の都”を
厚田に建設 また 恩師の尊き生涯を
あやまたず後世に残すべく
厚田で執筆を誓った小説『人間革命』を完結
そして 厚田の浜で誓った「世界平和」への道は
今 百九十二カ国・地域にまで広まった
弟子として唯ひとり
恩師の故郷へ連れてきていただいてから五十六星霜
今 師弟不二原点の地に永遠の意義を刻み
師恩に報ずる碑を建立する
    二〇一〇年五月三日  戸田記念墓地公園 創設者 池田大作

「師恩の碑」は、まさに戸田先生に仕え抜いた池田先生の、人生の勝利宣言そのものです。 そして「師恩の碑」は、墓園の創設者である池田先生を永遠に顕彰する碑を建立したいとの、北海道の創価の同志の思いが結実して完成しました。 ――日蓮大聖人の御書の一節には「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(御書491㌻、通解)とあります。忘恩(恩を忘れること)から社会の乱れが生じます。生み育ててくれた父母の恩を忘れてしまえば家庭は乱れます。こうした様々な「恩」のなかでも、とりわけ大切な根本の「恩」とは何か。仏法ではそれを「師恩」と説きます。すなわち人生の幸福の道を教え、生き方の規範を示す師匠への恩こそ、最も大切なものです。その師匠への恩に報いていく生き方を貫いてきたのが創価の三代会長の師弟です。

師恩の碑

厚田の浜で世界平和実現への展望を語り合われた池田先生と戸田先生の姿が刻まれている

ルーラン海岸

「師恩の碑」のモデルとなった厚田のルーラン海岸にある洞窟の形をした奇岩

小説『新・人間革命』の挿絵から

厚田の海岸で世界広布の展望を語り合う戸田先生㊨と池田先生㊧

戸田城聖先生の立像

東洋広布への思いを刻む

創価学会第二代会長・戸田城聖先生の立像は1982(昭和57)年6月12日、東洋広布の意義を込めて仏教発祥の地・インドのブッタガヤの方角を向いて建てられました(作・今里龍生氏)。東洋広布とは日蓮大聖人の仏法が、日本から西のアジアへ、そして世界へと広まり、人類の平和と幸福に寄与していくことを意味します。立像の大きさは高さ3メートル、台座を入れると7メートル。台座の側面には、戸田先生の和歌と戸田先生を師事し、仕え抜いた墓園創設者・池田大作先生の和歌が刻まれています。
「古の 奇(く)しき縁に 仕えしを 人は変われど われは変わらじ」(池田先生の和歌)。
「色は褪(あ)せ 力は抜けし 吾が王者 死すとも残すは 君が冠」(戸田先生の和歌)。立像の足元には「死身弘法」との言葉が刻まれています。
戦時中、日本はアジアの民に多大な迷惑をかけました。戸田先生は東洋の民衆を救おうと決意し、東洋広布、そして世界広布を叫ばれ、その礎となる日本の広宣流布の盤石な基盤を、生涯を掛けて築かれたのです。

戸田城聖先生の立像

池田先生の和歌

戸田先生の和歌

戸田城聖先生の歌碑

青年部への全幅の信頼を寄せて

黒御影石に、戸田先生が逝去前年の1957(昭和32)年の新春、創価学会青年部の目覚ましい成長に期待と喜びをもって詠んだ和歌「荒海の/鯱(しゃち)にも似たる/若人の/広布の集い/頼もしくぞある」が刻まれています。
空飛ぶものの王は「鷲」。地走るものの王は「獅子」。そして、海征くものの王は「鯱」です。泳ぐ速度は、イルカやサメよりも速いといわれ、生存を賭けた戦いに臨んでの仲間同士の連係も巧みです。戸田先生は、この〝海の王〟に譬えて、広宣流布の先頭に立つ青年部への全幅の信頼を寄せてこの歌を詠まれました。

戸田城聖先生の歌碑

池田大作先生の歌碑

北海道の同志の活躍を願い

大きさが高さ2.3メートルの福島県産の浮金石に、池田先生が北海道の創価の同志の活躍に期待を寄せて詠み贈った和歌「若き日の 恩師が歴史を 刻みたる 北海天地に わが弟子 舞い征け」が刻まれています。文中の「恩師」とは、厚田出身の戸田先生のこと。戸田・池田の両先生が大志を燃やして、青春を謳歌した天地が北海道であり、その地で人々の幸福のために日夜、懸命に奔走する北海道の同志の指針として建立されました。

池田大作先生の歌碑

「厚田村」の詩碑

戸田先生の少年時代に思いをはせて

幅6メートルの黒御影石に、池田先生が戸田先生の故郷・厚田村(現在の石狩市厚田区)と、その少年時代に思いをはせながら詠んだ詩が刻まれています。戸田先生は1900(明治33)年2月11日、石川県で生まれ、2歳の時に一家で北海道に移り住みました。青年期、教育の道を志しながら、更なる飛躍を誓って20歳の時に上京。老いた父母を残して、故郷を後にする戸田先生の心中を詠んだこの歌は、聞く人の心に深い感動を与えます。

厚田村
北海凍る  厚田村
吹雪果てなく  貧しくも
海辺に銀の  家ありき
これぞ栄ある  わが古城

春夏詩情の  厚田川
鰊の波は  日本海
松前藩主の  拓きしか
断崖屏風と  漁村庭
少年動かず  月明かり
伝記と歴史の  書を読みて
紅顏可憐に  涙有り
正義の心の  鼓動楽

痛まし針の  白髪に
不正に勝てと  アツシ織る
母の祈りに  鳳雛も
虹を求めて 天子舞

暖炉に語りし  父もまた
網をつくろい  笑顔皺
権威の風に  丈夫は
征けと一言  父子の譜

厚田の故郷  忘れじと
北風つつみて  美少年
無名の地より  世のために
長途の旅や  馬上行

「厚田村」詩碑

“詩を朗読”

昭和48年9月8日、厚田村で開催された「村民の集い」で「厚田村」の詩を朗読する池田先生(小説『新・人間革命』の挿絵)

「同志の歌」の詩碑

戸田先生の決意がほとばしる

黒御影石に、戸田先生が作詞した「同志の歌」が刻まれています。台石は日高石、玉砂利は福島県産が使われています。「我いま 仏の 旨をうけ 妙法流布の 大願を……」、歌う者、聴く者の心を揺さぶるこの歌は、戸田先生が戦時中、日本の軍国主義と戦って逮捕され、二年間に及ぶ獄中闘争の中で、先師・牧口常三郎(初代会長)の獄死を知らされ、限りない悲しみと怒りを覚えるなか、牧口先生の意志を受け継ぎ、人類の平和と幸福を実現する広宣流布への、自らの決意の歌として作詞したものです。

同志の歌
我 今 仏の  旨をうけ
妙法流布の  大願を
高く掲げて  一人立つ
味方は少なし  敵多し
誰をか頼りに 戦わん
丈夫の心  猛けれど
広き戦野は  風叫ぶ
捨つるは己が  命のみ
捨つる命は  惜しまねど
旗持つ若人  いずこにか
富士の高嶺を  知らざるか
競うて来れ  すみやかに
競うて来れ  すみやかに

「同志の歌」詩碑

“一人立つ”

一人立ち上がり、自作の「同志の歌」を、全魂を込めて歌い上げる戸田先生(小説『新・人間革命』の挿絵)

“獄中闘争”

牧口先生とともに、獄中で日本の軍国主義と戦った戸田先生(同挿絵)

世界広布誓願の碑

師弟の誓いを永遠に

2004(平成16)年8月10日、北海道創価学会の原点の日に建立されました。この日はちょうど50年前の1954(昭和29)年8月、若き日の池田先生が北海道に第一歩を印した日です。恩師・戸田先生とともに、恩師の故郷・厚田を訪れ「君は世界へ征くんだ。私に代わって」との恩師の言葉に、未聞の偉業である世界広布を誓いました。そして50年、創価の連帯は世界192カ国・地域に広がり、今や全地球を包むまでに。「師弟の誓い」は厳然として果たされました。碑はこの歴史と精神を永遠に留めゆくものです。
碑の基底部には同年5月に行った全道の同志の「記念署名」(DVD)と、同年8月1日に行われた青年部総会で結成された「北海道青年部 厚田誓願会」の氏名を記録したCDが埋納されています。

世界広布誓願の碑

北海道青年部総会

2004年8月1日、戸田記念広場で開催。全道から5000人の青年部の代表が集う

草創の碑

北海道広布の功労を讃え

厚田戸田講堂の正面の広場に設置されている「草創之碑」は、1980(昭和55)年9月9日に建立されました。大きさは高さ3.2メートル、幅4メートル、台座には北海道広布の草創期を支えてきた「大志会」「嵐桜会」の同志の名前が刻まれています。碑文には「北海の曠野に一人立ち/全道広布の使命に燃えて/険難の道を先駆せる草創の友/其の功労は不滅なり/君が開道の誉れ永遠に輝けと/ここに顕彰の一碑を留む」と記されています。
――9月9日は創価学会「北海道の日」です。淵源は1973(昭和48)年9月9日、札幌の北海道立産業共進会場(当時)で行われた広布第二章のスタートを飾る「第1回北海道青年部総会」。「新開拓」をテーマに掲げた総会に、全道から約1万2千人の青年が集いました。
総会では1968(昭和43)年に開道100年を迎えた北海道の開拓の祝典のスローガンが「風雪百年 輝く未来」であったことを通して、信仰も人生も「風雪」との戦いであり、新しき広布第二章の出発も、この言葉を胸に、力強く前進していくことを確認し合いました。
また、この時、北海道の稲作の歴史を振り返り、当初、学者の間では、寒冷の北海道では育たないと言われた稲作が、道庁の関係者の指導のもと、成功に導かれていった史実を通して、理論家と実践家の相違に触れるなかで、広布第二章の開拓にあっても、実践家としての視点に重きを置きながら、万人の尊厳と可能性を説いた仏法の生命哲学を基調に、新たな挑戦を開始していくこを約し合いました。

草創の碑

第1回北海道青年部総会

「新開拓」をテーマに掲げ、盛大に開催された(小説『新・人間革命』の挿絵)

広布丈夫の像

世界初の六段円塔 歴史的瞬間を戸田先生に

大きさが高さ6メートル、重さ約3トンの「広布丈夫之像」(作・鷹尾俊一氏)。まさに立たんとする三段円塔に、広布を担う若い力と情熱がほとばしる。一段目は「力」、二段目は「調和」、三段目は「確信」をテーマに作られました。池田先生は「この像は1982(昭和57)年3月、大阪で行われた第一回関西青年平和文化祭の組み体操の演目で、世界で初めて成功した六段円塔と二重写しになる。この歴史的一瞬を厚田出身の恩師・戸田先生に見て頂きたいとの思いから、厚田の地に設置した」と言われています。

広布丈夫の像

六段円塔

1982年3月22日、第一回関西青年平和文化祭の組み体操の演目で、世界で初めて成功した六段円塔

平和の天使之像

鼓笛隊への感謝の心光る

厚田戸田講堂前の春風庭園に設置されている鼓笛隊の清楚な立像は、1980(昭和55)年8月3日に建立されました。台座には「わが平和の天使らの 健康と栄光と福運を祈る」との池田先生の言葉が記されています。北海道の天地に鼓笛隊が結成されたのは、1958(昭和33)年5月24日。初舞台はその年の6月22日、男女別に札幌市内の小学校で開催された第1回北海道青年部総会の席上でした。
かつて、池田先生は鼓笛隊に和歌を詠みました。「あな嬉し 平和の天使の 前進に 広布の道は 幸が爛漫」――。現在、鼓笛隊は各地のパレードや演奏会で見事な演奏を披露しながら、広布の前進の舞台に花を添え、社会に平和と希望のスクラムを広げています。
世界でも約30に及ぶ国や地域に広がり、あの地に、この地で、若き良き世界市民と光りながら、創価の妙音を奏でています。

平和の天使之像

北海道鼓笛隊

昭和33年5月に開催された青年部総会の席上、初演奏を披露する北海道鼓笛隊