パトリシオ・
エイルウィン氏


「一つだけ、はっきりと言えることがある。 私には一人、友人がいるんだ。それは池田大作博士だ!」

「一つだけ、はっきりと言えることがある。 私には一人、友人がいるんだ。それは池田大作博士だ!」
画像:初会見は、チリの国家元首として初来日した折(1992年11月19日、東京)
初会見は、チリの国家元首として初来日した折(1992年11月19日、東京)

リーダーは民衆に奉仕せよ

「余りにも興味深い対話ですので、もう少し続けさせてください」

1992年11月、チリ共和国の国家元首として初めて来日し、池田大作先生と会見したエイルウィン大統領。多忙なスケジュールを気づかい、辞去しようとする池田先生を大統領が引きとめたのは「民衆に奉仕するリーダー像」に話がおよんだ時であった。

かねてより「私は、チリとチリ人に対して『一番、奉仕する人』になりたい」と語るエイルウィン大統領。池田先生は、チリが「一番、大変な時」に立ちあがったエイルウィン大統領の勇気を「『人間として』偉大」と讃えた。
画像:独裁政権にピリオドを打ちチリ民主化を成し遂げた 哲人大統領・エイルウィン氏
独裁政権にピリオドを打ちチリ民主化を成し遂げた 哲人大統領・エイルウィン氏

“微笑み”と“不屈の信念”

エイルウィン大統領のトレードマークは、絶えることのない笑顔。チリのある新聞は「彼の外見的な特徴といえば、厳しい現実の試練も消し去れなかった微笑であろう」と記した。

「厳しい現実の試練」——それは、独裁政権を倒し、民政移行を実現した不屈の闘争であった。チリの民衆は、「紙と鉛筆」(投票)、「歌」(音楽と詩)と「握手」(立場を超えた民主勢力の連帯)で勝利したのだった。

「決して、これが最初で最後の出会いにならないことを望みます。この次は、ぜひ我が国で、大統領府でお会いしたい」とのエイルウィン大統領の願いは、翌93年2月、池田先生がチリを初訪問した折に実現した。チリは、池田先生の50カ国目の海外訪問国となった。
画像:大統領府で2度目の会見。文化交流の重要性を確認しあう(1993年2月25日)
大統領府で2度目の会見。文化交流の重要性を確認しあう
(1993年2月25日)
画像:エルウィン大統領と池田先生の対談集『太平洋の旭日』
エルウィン大統領と池田先生の対談集
『太平洋の旭日』

「私の友人、池田大作博士」

2度目の会見の際、池田先生は、「暴力」による変革ではなく、国民の「理解」と「納得」を得て、チリを民主国家へと前進させたエイルウィン大統領を讃え、長編詩「アンデスの民主の偉容」を贈呈した。

「私を詩にうたっていただくとは——思ってもみませんでした」と、心からの感謝をのべるエイルウィン大統領——二人は、今後もさまざまな形で対話を続けていくことを約し合った。

対話は、日本・チリ修好通商航海条約100周年を記念する一書として上梓された対談集『太平洋の旭日』に結実した。

駐日大使として日本に赴任することが決まり、挨拶に訪れた政府関係者に、エイルウィン氏は語ったという。

「日本は、数回しか行っていないので、それほどよく知っているわけではないんだよ。でも、一つだけ、はっきりと言えることがある。私には一人、友人がいるんだ。それは池田大作博士だ!」
画像:パトリシオ・エイルウィン

パトリシオ・エイルウィン

チリ共和国元大統領

1918年生まれ。弁護士。国立チリ大学法学部及び私立チリ・カトリック大学法学部教授として教鞭をとる。51年、33歳の若さでキリスト教民主党の総裁に選ばれ、上院議員、上院議長などを歴任。軍事政権が長期化すると、民主化運動をリードし、89年12月、大統領選挙に勝利。軍事政権(1973年~)にピリオドを打ち、世界の注目を集めた。大統領在職中(90年3月~94年3月)に、民政への移行を実現。貧困の撲滅などに尽力した。

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