ワレンチナ・
テレシコワ氏


「池田会長は我が国に来られるたびに
友情の果実を残してくださいます」

「池田会長は我が国に来られるたびに 友情の果実を残してくださいます」
画像:初会見の席上(左から3人目がテレシコワ氏、右手前から4人目が池田大作先生。1975年5月26日、モスクワ)
初会見の席上(左から3人目がテレシコワ氏、右手前から4人目が池田大作先生。1975年5月26日、モスクワ)

人類初の女性宇宙飛行士との会見

「カモメさんに、お会いできました!」池田大作先生の第一声に、ぱっと笑顔の花が咲いた。“カモメさん”と呼ばれた女性初の宇宙飛行士。ワレンチナ・テレシコワ氏は1975年5月、池田先生と会見した。

「なぜ宇宙飛行士に?」との池田先生の問いかけに、テレシコワ氏は静かに語り始めた。「宇宙へ行きたい」と思ったのは、ガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行を成功させた時(1961年4月)だったという。

「男が飛んだんだから、この次は女の番だね」その日、何気ない母の言葉が心を打った。戦争のため、幼くして父親を失ったテレシコワ氏。厳しい環境の中、女手ひとつで育ててくれた母親の存在が支えだった。

テレシコワ氏は、働きながら工学を学び、地元の航空クラブでスカイダイビングを行っていた。1962年、400人を超える候補の中から女性宇宙飛行士に選抜。想像を絶する厳しい訓練を経て、念願の宇宙へ飛び立った——。
画像:女性初の宇宙飛行を果たしたテレシコワ氏
女性初の宇宙飛行を果たしたテレシコワ氏

世界のすべての母の幸福を

「ヤー、チャイカ(私はカモメ)!」

1963年6月16日、ソ連の宇宙船ボストーク6号から、弾んだ声が世界に向けて発信された。人類で初めて女性が宇宙に飛び出した瞬間だった。

「カモメ」は、テレシコワ氏が交信するときに使うよう決められたコールサイン(呼び名)だった。

氏は宇宙から地球を見てふるさとの母親を思った。祖国の上空に差しかかると、母への感謝を発信した。“わが母と、世界のすべての母親の幸福を希望する”——と。
画像:池田先生夫妻を見送るテレシコワ氏(1987年5月26日、モスクワ)
池田先生夫妻を見送るテレシコワ氏
(1987年5月26日、モスクワ)

平和への願い

1987年5月、池田先生はモスクワを訪問。「核の脅威展」を開催し、ルイシコフ首相や各界の代表と会見した。テレシコワ氏は、ソ連対外友好文化交流団体連合会議長として諸行事を支えた。

「ようこそ。訪ソのたびに友情の果実を残していかれる池田会長の来訪を、心から楽しみにしておりました」(テレシコワ氏)

「私どもへの万般にわたるご厚情とご配慮に、深く感謝したい。細やかな心遣いに、心から感嘆しております」(池田先生)

テレシコワ氏は語った。「宇宙に出ると、地球がいかにも小さくて壊れやすいものに感じられます。小さく青く輝く地球。この青さを核戦争の黒い灰でおおってはいけません」「私たちは皆、『地球号』という大きな宇宙船で一緒に飛んでるのですから」
画像:ワレンチナ・テレシコワ

ワレンチナ・テレシコワ

ソ連の宇宙飛行士

1963年6月、女性初の宇宙飛行に成功。70時間50分の飛行で地球を48周した。女性単独では史上、ただ一人。ソ連婦人委員会議長、ソ連対外友好文化交流団体連合会議長、ロシア国際科学文化協力センター議長などを歴任。

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