ソニア・
ガンジー氏


「前にインドでくださったオルゴール。
大好きで、毎日、聴いています」

「前にインドでくださったオルゴール。
大好きで、毎日、聴いています」
画像:インドで初の会見(1992年2月14日、インド・ニューデリー)
インドで初の会見
(1992年2月14日、インド・ニューデリー)

一番、悲しんだ人が、一番幸福に

「お元気そうで、うれしい。本当にうれしい」「その笑顔を皆に見せてあげてください。インドの人も、世界の人も、どんなにか喜ぶでしょう」。

1992年2月、ソニア・ガンジー氏の自宅を訪問した池田大作先生は語った。その9カ月前、ソニア氏は、最愛の夫ラジブ・ガンジー首相(当時)の暗殺という悲痛な出来事を経験していた。

かつてラジブ氏とも会見し、友情を結んだ池田先生。——祖国のため、民衆のために生命を捧げたラジブ氏の一家が不幸になることがあってはならない。断じて幸福になってもらいたい——その真情を、率直にソニア氏に語った。

「一番、悲しかった人が、一番、晴れやかに輝く人です。運命を価値に転換してください。ソニア夫人が悲しめば、ご主人も悲しまれるでしょう。夫人が笑顔で立ち上がれば、ご主人も喜ばれるでしょう。夫人とご一家の勝利が、ご主人の勝利となるでしょう」
画像:ソニア氏に池田先生が贈ったオルゴール
ソニア氏に池田先生が贈ったオルゴール

母は太陽 太陽は輝いてこそ太陽

イタリア出身のソニア氏は、ケンブリッジ大学在学中にラジブ氏と出会い、21歳で結婚。インドに渡り、文化と生活の隔たりを乗り越え、政界入りした夫を懸命に支えた。

1992年の語らいの席で、池田先生は、自らが作詞した「母」の曲のオルゴールをソニア女史に贈った。

「母は太陽です。太陽は輝いてこそ太陽です」「振り返らないことは、とても難しいことです。無理なことかもしれません。けれども、偉大な人は、あえて足を踏み出す人です。前へ、また前へ」と励ます池田先生。

——「よくわかりました、お約束します。本当にありがとうございます」とソニア氏は答えた。
画像:長女のプリヤンカさんと共に2度目の対談(1994年10月17日、東京)
長女のプリヤンカさんと共に2度目の対談
(1994年10月17日、東京)

大好きなオルゴール

1994年10月、ソニア氏は池田先生と再会。その間、ソニア氏は、「ラジブ・ガンジー財団」「ラジブ・ガンジー現代問題研究所」の発展に尽力し、テロ被害による孤児の救援援助など、ラジブ氏の遺志を受け継ぐ行動を続けてきた。

深い悲しみを乗り越え、笑みを浮かべるソニア氏に「その笑顔が何より私は、うれしいのです」と語る池田先生。

ソニア氏は語った。「池田先生の温かいお心に、いつも感謝しています。前にインドでくださったオルゴール。大好きで、毎日、聴いています。長女のプリヤンカが、よく知っています」
画像:ソニア・ガンジー

ソニア・ガンジー

インド国民会議総裁

イタリア生まれ。イギリスへ留学した際、後にインドの首相を務めたラジブ・ガンジー氏と知り合い、結婚。夫の死後、ラジブ・ガンジー財団などの総裁を歴任し、平和活動を展開。のちにインドの政界進出も果たした。

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