アーノルド・J・
トインビー博士


「人類全体を結束させていくために、若いあなたは、
このような対話を、さらに広げていってください」

「人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
2013年制作
画像:トインビー博士の自宅で行われた初対談 (1972年5月5日、ロンドン)
トインビー博士の自宅で行われた初対談
(1972年5月5日、ロンドン)

一通のエアメール

イギリスが最も輝く季節、メイフラワー・タイム(5月の花咲く頃)。1972年5月、池田大作先生は、ロンドン市内にあるアーノルド・J・トインビー博士の自宅を訪れていた。

1969年の秋、池田先生のもとに一通のエアメールが届いた。それは「20世紀最大の歴史家」とも評されるトインビー博士からの、「対談」を要請する書簡であった。

「現在、人類が直面している諸問題に関して、二人で有意義に意見交換できれば幸いです」。そして「うららかな春を迎える5月」に、ロンドンで語り合いたいとつづられていた。

招請から2年半、ついに対談が実現した。
画像:対談の合間、風薫るホーランド公園を散策(1972年5月9日、ロンドン)
対談の合間、風薫るホーランド公園を散策
(1972年5月9日、ロンドン)

対話をさらに広げていってください

「私はこれまで、仏法者として、『生命の尊厳とは何か』『人間とは何か』といった根源的なものを、常に探究してまいりました」と語る池田先生にトインビー博士は応じた。

「まさに、私もその点を話したかったのです。長い間、この機会を待っていました。やりましょう! 21世紀のために語り継ぎましょう! 私はベストを尽くします!」

83歳のトインビー博士と44歳の池田先生——対談のテーマは、「人生と社会」「政治と世界」「哲学と宗教」という三つの柱を軸として、地球文明の未来、国際情勢、恒久平和、生命論、環境問題、女性論、青年への期待、教育論など、多岐にわたった。

翌年5月の語らいと合わせ、のべ10日間、40時間にもわたった対談を終えた際、トインビー博士は、池田先生の手を握りしめて言った。

「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」

そして、ローマクラブの創立者ペッチェイ博士など、友人の名前を記したメモを託し、会うことをすすめた。
画像:池田先生をみつめるトインビー博士の眼差しは慈父のごとく(1973年5月19日、ロンドン)
池田先生をみつめるトインビー博士の眼差しは
慈父のごとく(1973年5月19日、ロンドン)

今なお愛読される対談集

やがて、語らいは、対談集『二十一世紀への対話』として結実。発刊から30年以上経った現在、31言語に翻訳され、トインビー対談を愛読する識者や国家指導者は多い。

二人の対話を貫いているもの——それは、現代世界が抱えているさまざまな問題群を「傍観者」ではなく「当事者」としてとらえ、その解決の方途を真剣に探ろうという責任感と情熱である。

トインビー博士が対談を始める際、青年のごとく語る言葉があった。
「さあ、今日も、共に語りましょう! 人類のために! 未来のために!」
画像:アーノルド・J・トインビー

アーノルド・J・トインビー(1889年~1975年)

歴史学者・文明批評家

歴史学者、文明批評家。イギリス・ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業。ロンドン大学教授、王立国際問題研究所・研究部長などを歴任。西欧中心ではない独自の歴史観により文明の興亡を体系化し、“20世紀最大の歴史家”と称される。主著に『歴史の研究』『試練に立つ文明』など。

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