国立ローマス・デ・
サモーラ大学
名誉博士・法学部名
誉教授


多様性の国の“人権の最高学府”

画像:国立ローマス・デ・サモーラ大のキャンパス

国立ローマス・デ・サモーラ大のキャンパス

画像:同大学の授業風景

同大学の授業風景

アルゼンチンは、多様性の国である。南北3200キロにわたって広がる国土で、自然は様々な美しい表情を見せる。人びとのバックグラウンドも多彩——ヨーロッパ各地からの移民や、先住民族などが共存する“人種の坩堝(るつぼ)”である。

アルゼンチンの現代史は、激動と苦難の連続であった。1950年代以降、軍の政治介入が本格化。特に1976年以後の軍政下にあっては、言論統制と人権侵害が横行し、弾圧により3万人もの命が奪われた。その後、民政移管を達成したのは1983年のことである。

国立ローマス・デ・サモーラ大学の創立は1972年。その草創の歴史は、軍政下での過酷な弾圧を抜きに語ることはできない。言論弾圧の最大の標的のひとつは、「学問の自由」を標榜する大学であったからだ。

民政移管後、同大学は南米でいち早く「人権」を正式な研究・教育課程に採用。市民講座を積極的に開催するなど、多くの犠牲者を出した教訓を未来へと伝えようと、努力を続けている。「自由」と「平和」の価値を肌身で知るが故に、「鋭き人権感覚」を誇る最高学府なのである。

人権を広げる行動への共鳴

画像:エスキベル博士と会見(1995年12月)

エスキベル博士と会見(1995年12月)

画像:国立ローマス・デ・サモーラ大学トマ副総長(右から5人目)同大学池田大作図書館にて

国立ローマス・デ・サモーラ大学トマ副総長(右から5人目)同大学池田大作図書館にて

国立ローマス・デ・サモーラ大学から池田大作先生に招へい状が寄せられたのは、1992年のこと。同大学の池田先生に対する関心は、その「鋭き人権感覚」によるものであった。

創価学会には、軍国主義下の思想統制に抵抗した初代会長牧口先生、第二代会長戸田先生が投獄され、牧口先生が獄死するという殉難の歴史がある。池田先生は、この歴史をふまえ、文化・宗教の相違を超えた普遍的な人権思想の確立に、仏法者の立場から力を注いできた。

SGI(創価学会インタナショナル)は、「現代世界の人権」展を世界8カ国40都市で開催している。また、池田先生は、 「世界人権宣言」の起草に携わったブラジル文学アカデミーの故アタイデ総裁、アルゼンチンをはじめ南米諸国の民主化に指導力を発揮したノーベル平和賞受賞者・エスキベル博士ら、南米を代表する知性と「人権」をテーマに対談。

国連においても、池田先生が提唱した「人権教育世界プログラム」が2005年から開始されている。

現在、国立ローマス・デ・サモーラ大学の「池田哲学普及委員会」(2003年設置)の委員長を務めるトマ副総長(当時事務総長)は語る。「池田博士は、人権の根本を、一対一の人間の啓発においていらっしゃる。その慧眼(けいがん)。その哲学の深さ。私は心から信頼し、敬服しています」

名誉博士号・法学部名誉教授称号授与式

画像:国立ローマス・デ・サモーラ大学のクレール総長と会談(1993年2月)

国立ローマス・デ・サモーラ大学のクレール総長と会談(1993年2月)

画像:「名誉博士」「法学部名誉教授」の授与式典(1993年2月)

「名誉博士」「法学部名誉教授」の授与式典(1993年2月)

1993年2月14日、池田大作先生はアルゼンチンを初訪問。16日のメネム大統領との会見に続き、17日に国立ローマス・デ・サモーラ大学の「名誉博士」及び「法学部名誉教授」称号の授与式に臨んだ。

授章のあいさつに立ったクレール総長(当時)は、池田先生の行動が「人間主義」に基づき、人間の「“本質的な能力”に対する信念」に裏打ちされたものであると述べ、重ねて、敬意を表した。

「国立ローマス・デ・サモーラ大学は、本式典において、一人の人間に、またその功績に栄誉を授与しただけではなく、そのことによって進むべき『ひとつの道』を確認することができたのだ」と。

池田先生は、アルゼンチンに脈打つ「世界市民主義」の息吹に言及。人類の一員として、対話を積み重ねながら、平和と文化の方向へ「教育の大河」をつくっていきたいと、決意を述べた。

式典では、「大学の“心臓”」とも称される図書館が「池田大作図書館」と命名されることが発表された。これは、池田先生の業績に深い感銘を受けた同大学法学部生の強い要望によるもので、席上、法学部学生自治会の代表が決議書を披露。鋭き人権感覚を誇る最高学府の若き知性からも名誉学位受章への祝福が重ねられた。

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