ナイロビ大学 名誉文学博士ナイロビ大学
名誉文学博士


自然豊かな“教育先進国”の最高学府

画像:マサイマラ国立保護区

マサイマラ国立保護区

画像:ナイロビ大学のキャンパス

ナイロビ大学のキャンパス

東アフリカの赤道直下に位置する国・ケニア。起伏に富んだ国土には、多様な気候が分布し、世界に類をみない豊かな自然をはぐくんでいる。50を超える国立公園・動物保護区を擁し、多くの観光客が訪れる“憧れの大地”である。

近年、工業化の進展が目覚しいケニアは、「教育の国」としても名高い。義務教育の無料化など、青少年の育成により、国家の繁栄を図るモデルケースとして注目されている。

同国の最高学府・ナイロビ大学は、東アフリカ初の高等教育機関として1956年に創立。「出版するか、それとも滅びるか」をモットーに掲げ、活発な研究・出版活動を展開する。また、世界の50を超える国々の大学との教育交流を推進する“開かれた学府”としても知られる。

ナイロビ大学と、池田大作先生を創立者とする創価大学は、1984年から文化・教育交流のプログラムを開始。1988年5月に学術交流協定を締結する。これは、同大学が日本の大学と正式に結んだ最初の学術交流協定となった。

日本人初のスワヒリ語版著作の刊行

画像:ナイロビ大学のムビシ副総長(当時)、
ショインカ博士と会見(1987年9月)

ナイロビ大学のムビシ副総長(当時)、
ショインカ博士と会見(1987年9月)

画像:スワヒリ語版『生命を語る』(写真右)

スワヒリ語版『生命を語る』(写真右)

「21世紀は、アフリカの世紀である」と、かねてよりアフリカの未来性に着目してきた池田大作先生。ナイロビ大学をはじめとするアフリカの知性との縁は深い。

1986年、ケニア口承文学協会は、池田先生に対し第1回の「ケニア口承文学賞」を授与。池田先生の詩作や識者との対談集などの著作が、評価されたのだった。この授与式の折、式辞を述べたのがナイロビ大学のムビシ副総長(当時)である。

翌87年、ムビシ副総長はナイジェリアのノーベル文学賞作家・ショインカ博士とともに来日し、池田先生と会談。その席上、ムビシ副総長は池田先生の著作のスワヒリ語訳の出版を提案した。

こうして、1990年12月、池田先生の著作である『生命を語る』のスワヒリ語版がナイロビ大学出版会より刊行。日本人の著作がスワヒリ語訳に翻訳・出版されたのは、初めてであった。これには大きな反響が寄せられ、翌91年5月には、トインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』のスワヒリ語版が続けて刊行された。

名誉博士号授与式

画像:ナイロビ大学ギチャガ副総長の挨拶(1992年12月)

ナイロビ大学ギチャガ副総長の挨拶(1992年12月)

画像:ナイロビ大学の名誉文学博士号証書

ナイロビ大学の名誉文学博士号証書

1992年12月22日、東京・八王子の創価大学記念講堂にて、池田大作先生に対するナイロビ大学名誉文学博士号の授与式が行われた。

ナイロビ大学の名誉文学博士号は、社会・哲学・経済・政治等の広い分野における世界的な貢献に対し贈られるもの。ケニアのケニヤッタ初代大統領らに続いて世界で5人目、アジアからは初の受賞となった。

オバラ教養学部長が、イギリスの詩人キプリングの箴言「言葉は、人類によって使用される最も力ある薬である」を引き、「池田大作先生はこれを証明するに最もふさわしい“知性の人”」と述べ、“価値を創造する文化・教育によって平和を構築する”という池田先生の理念の先見性に言及。

出版・講演・提言などを通じた文学における世界的な貢献により、「一人一人が世界平和のためにどれだけのことができるか、何をなさねばならないか——それを、自らの行動をもって示してくださいました」と授章理由を紹介。ギチャガ副総長から、名誉文学博士号の証書が授与された。

池田先生は、ケニアゆかりの言葉を紹介しつつ、謝辞を結んだ。

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