ハバナ大学 
名誉人文学博士


教育大国の最高学府 ハバナ大学

画像:ハバナの旧市街と海岸の景色

ハバナの旧市街と海岸の景色

画像:SGI青年代表キューバ訪問団一行が同国文化省を
表敬訪問(1995年9月)

SGI青年代表キューバ訪問団一行が同国文化省を
表敬訪問(1995年9月)

大西洋、カリブ海、メキシコ湾を結ぶ要路に位置し、「カリブ海の真珠」と呼ばれるキューバ共和国。美しい海と自然の中に、朗らかで陽気な人々が暮らしている。

19世紀後半のキューバ独立革命に参加し、建国の英雄として今なお国民に敬慕されるホセ・マルティ(1853~95)。

1728年に創立したハバナ大学は、ホセ・マルティの人道主義の哲学である「人間の尊重」を根本理念に掲げている。

キューバ革命後、政府は「識字率向上運動」「大学までの教育の無償化」などを通じた“教育の革命”を推進。字の読めない国民をなくそうとの呼びかけに応じ、20万人を超える志願教師が集まった。その中核を担ったのが、ハバナ大学の学生であり、卒業生であった。現在、キューバは、中南米一の高い識字率を誇る。

1995年9月には、創価学会インタナショナル・SGI青年訪問団が、ハバナ大学等を表敬訪問(キューバ文化省招へい)。ハルト文化大臣(当時)は、「日本の最も大切な友人を招いた思いです」と歓迎した。

キューバ初の本格的な日本美術展の開催

画像:カストロ議長と会見(1996年6月)

カストロ議長と会見(1996年6月)

画像:ハルト文化大臣が「日本美術の名宝」展を鑑賞
(1996年7月)

ハルト文化大臣が「日本美術の名宝」展を鑑賞
(1996年7月)

1996年6月24日(現地時間)、池田大作先生は、キューバ文化省の招へいを受けて同国を初訪問した。

この際、東京富士美術館(創立者=池田先生)によるキューバ初の日本美術展「日本美術の名宝」展の開幕が間近に迫っていた。同展の名誉実行委員長に就任したのはカストロ国家評議会議長。カストロ議長が、こうした文化行事の役職に名を連ねるのは異例のことであった。

池田先生は、キューバ初訪問の翌日、ハバナ市の革命宮殿を訪れ、カストロ議長と会談。議長は、いつもの「軍服」ではなくスーツを着用。国内の公式行事で議長がスーツを着用したのは、この時が革命以来、初めてであった。

カストロ議長は「平和主義者を迎えるのにふさわしい服に着がえました」と、にこやかに。そして、「創価学会の皆さんは、平和のための活動に全魂を傾けておられますね。だから尊敬します」と語った。

7月1日に開幕した「日本美術の名宝」展には、「日本との精神的距離が一気に縮まることと思います」(キューバ作家芸術家協会会長・プリエート氏)等と、大きな反響が寄せられた。

名誉人文学博士号授与式ならびに記念講演

画像:ヴァルデス総長が学位記を授与(1996年6月)

ヴァルデス総長が学位記を授与(1996年6月)

画像:ハバナ大学名誉人文学博士号授与式で記念講演
(1996年6月)

ハバナ大学名誉人文学博士号授与式で記念講演
(1996年6月)

1996年6月25日、キューバの“芸術の粋”を集めたハバナ大学アウラ・マグナ講堂で、池田大作先生に対する名誉人文学博士号の授与式が挙行された。同大学による日本人への初の名誉学位授与である。

これに先立ち、同講堂では、池田先生の「文化交流への貢献」を称えて、キューバ共和国の国家勲章「フェリックス・バレラ最高勲章」が授与された。

名誉学位記の授与式では、ハバナ大学のヴェーラ・ヴァルデス総長が、“世界を結ぶ人”の行動に敬意を込めて、と決議書を朗読し学位記を授与。文学芸術学部のガルシア教授が、「人権と平和への貢献」を認識するのは大学の義務であり、池田氏は国境を超えて行動し、「精神の価値」を興隆している、と池田先生を紹介した。

これに引き続き、池田先生が「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題し、記念講演。他者と積極的にかかわり、人間を結ぶなかに「平和の橋」は築かれるとし、「教育こそ未来への架橋」であると語った。

講演には「まさに、私たちの進むべき未来への進路をも示す講演であったといえるでしょう」(ベシーノ高等教育大臣)等との声が寄せられた。

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