フィリピン大学 名誉法学博士フィリピン大学
名誉法学博士


フィリピン随一の名門校 フィリピン大学

画像:建国の父 ホセ・リサール(1861~96年)

建国の父 ホセ・リサール(1861~96年)

画像:国立フィリピン大学ディリマン校

国立フィリピン大学ディリマン校

フィリピンは、太平洋上に浮かぶ7000以上の大小の島々から成る。

建国の父であるホセ・リサールは、中国や東南アジアなどの多様な文化を結び、海上交通の要衝(ようしょう)として栄えるフィリピンの美しさを「東洋の真珠」と讃えた。

フィリピン大学の創立は1908年。現在では、ケソン市のディリマン校をはじめ7つのキャンパスを擁する、国内随一の国立総合大学である。

「我が国の発展、停滞はフィリピン大学とともにある」 と語られるほど、フィリピンの政治・経済界をはじめ、多岐にわたる分野の指導者を輩出してきた。

フィリピン大学と、池田大作先生を創立者とする創価大学は、1988年に学術交流協定を締結。教員・留学生の相互派遣や語学研修など、着実な青年の教育交流を積み重ねてきた。

フィリピンと日本に「平和の橋」を

画像:フィリピン大学のアブエバ総長(当時)を歓迎(1990年4月)

フィリピン大学のアブエバ総長(当時)を歓迎(1990年4月)

画像:フィリピン大学のアブエバ総長夫妻と(1990年4月)

フィリピン大学のアブエバ総長夫妻と(1990年4月)

1990年4月17日、池田大作先生は東京都内でフィリピン大学アブエバ総長(当時)を歓迎。約1時間半にわたる会談で、日本とフィリピンの友好、フィリピン大学と創価大学の交流をより一層推進することを約し合った。

かつて日本軍からの侵略を経験したアジア諸国が抱く、日本への不信感は、日本人にとって想像を超えるものがある。

アブエバ総長もまた、太平洋戦争でフィリピンを侵略した日本軍に両親を殺されるという壮絶な戦争体験を持つひとりであった。

池田先生は、総長の両親の死を心から悼(いた)み、日本軍の暴虐への憤りを率直に語り、深謝した。「古い友人である貴国に対し、日本の軍国主義は、あまりにも残虐な侵略をしました。貴大学も占領されました」

そして、決意を語った。「深い人間の真心で、貴国、貴大学との間に、友好の橋を築いてまいりたい」

アブエバ総長は、創価学会の初代・第二代の会長が軍国主義に抵抗し投獄された事実に敬意を表し、池田先生がその遺志を継ぎ、平和へのリーダーシップを発揮していることを次のように称えた。
「過去の歴史に“戦争のリーダー”は多くいましたが、“平和のリーダー”はわずかしかいませんでした。平和のリーダーの手本となるべき存在が、今ほど待望されている時はありません」

記念講演ならびに名誉法学博士号授与式

画像:フィリピン大学ディリマン校経営学部の卒業式で記念講演(1991年4月)

フィリピン大学ディリマン校経営学部の卒業式で記念講演(1991年4月)

画像:フィリピン大学名誉法学博士号がアブエバ総長から授与される(1991年4月)

フィリピン大学名誉法学博士号がアブエバ総長から授与される(1991年4月)

1991年4月21日、池田大作先生は、フィリピン大学ディリマン校を訪問。同大学経営学部の卒業式の席上、「平和とビジネス」と題する記念講演を行なった。この講演は、アブエバ総長が前年に来日した際、池田先生の講演を強く要請したことを受けてのものであった。

副題に「『人間の論理』で『資本の論理』をリード」と銘打った講演。池田先生は、平和を志向するビジネス、あるいはビジネス人は、「企業益」や「国益」への執着に代表される「資本の論理」のみに従属せず、「公正」といった人間としての普遍的価値観を軸とする「人間の論理」に拠って立つべきことを訴えた。


講演の後、各学部の成績優秀者が代表して出席する卒業式典の席上、池田先生に対するフィリピン大学名誉法学博士号がアブエバ総長より授与された。この名誉法学博士号は、フィリピンの歴代大統領や各国の首脳などにも授与された、同大学の最高位の栄誉称号である。

アブエバ総長は、池田先生の業績をタガログ語と英語で紹介。池田先生が優れた仏教の哲学を日本および世界に宣揚し、国連への平和提言や識者との対話、多角的な著作活動、各種の教育・学術・文化機関の設立を通して、平和・文化・教育の推進に貢献してきた業績を称賛し、こうした活動は人類の善意の人々に大きな励ましとなっていると強調した。

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