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【ドキュメンタリー】若手型染め作家×エステティシャンに密着!

公開日:

  

東京でエステティシャンとして活躍する陽子さん。エステの道に入って8年。
そんな陽子さんにはもう一つの顔があります。

  

  

もう一つの顔は「型染め作家」

  

陽子さん:いま、3年目に入りました。全然まだ、完璧なところまでいってないんで。 一個ダメな場所があったら、やっぱり世に出せないんで。

  

  

栃木の工房で、帯や着物などに文様(もんよう)や絵を施していく型染め作家。
陽子さんのもう一つの顔です。

  

  

型染めは、日本の伝統的な染色技法の一つ。

  

  

陽子さん:(型染めの魅力は)オンリーワンですっていうことですかね。全部の工程を一人でやってるので。その道を極めた職人が、一個一個やってるわけじゃないから。 正直、同じ物を作ろうと思っても、作れないんですよね。今はたくさん量産ができる世界じゃないですか。逆に、一個も同じ物が作れないっていうのもいいと思うんですよ。

  

  

  

型染めの道に入ったきっかけ

  

これまでに様々な作品を制作してきました。
陽子さんが型染め作家になったきっかけは祖父・清人(きよと)さんの存在でした。

  

清人さん:陽子の作品はね、元々ね、漫画チックなんだよ。何やっても漫画になるんだよ。発想が違う。頭の中の発想が。僕にないものを持ってるから。

  

清人さんは人間国宝・芹沢銈介氏の元で型染の道に入って70年。89歳となった今も現役を続ける型染め界のレジェンドです。

  

  

陽子さん:夢を見させてもらってた感じなんですよね。おじいちゃんすごいな。こんなにいろんな人から慕われてるんだとか。 希望を見せられていたので。一緒にやりたいなって、思ってたんですけど。憧れみたいな、カッコいいなみたいな。

  

東京でエステティシャンに

  

憧れはあったものの、専門学校卒業後、東京でエステティシャンの道へ。社内で新人賞や指名件数1位を取るなど、優秀な成績を残しました。
しかし、マネージメントを任された頃から壁に直面します。

  

陽子さん:自分は何を成長できたのかな。みたいに考えたときに、なんか、なんにも変わってないなって、思っちゃったんですよね。 そう思ったら、一気に楽しくなくなっちゃって。

  

次第に、心身にも限界を感じるようになります。

  

陽子さん:あした仕事だとか思うと、心臓がドキドキしたり、このままでいたら壊れちゃうなと思ったんですよ。 自分はなんか本当に家の中の埃(ほこり)みたいな。気付いたら(気を失うように)寝てるって感じでした。

  

陽子さんは創価学会員の祖父母、両親の姿を見て育ちました。

  

陽子さん:「何かあったらお題目(=祈る)」って口酸っぱく言われてたというか。正直、その時 祈ることさえもできなかったです。

  

しかし、このままじゃいけないと、久々に参加した学会の会合で、池田先生の言葉に触れます。

  

“幸福とは前進すること” 新しいことへの挑戦

  

陽子さん:“幸福とは前進すること”というような内容だったんですけど。なんかその時の私がちょうど、同じ日を繰り返しているような気持ちだったから。 だから、新しいことに挑戦しないとなっていうふうに思ったんですよ。

  

  

先のことを相談するために実家に連絡を取ると、清人さんが体調を崩していたことを知ります。

  

陽子さん:なんか老いを感じたというか、すごくそれがショックで。その前までは、(型染めを)いつかやりたいなだったのが、時間が有限なんだって気付いたみたいな。

  

「型染をやりたい!」幼い頃からの夢の実現に向け、一度、栃木に帰省。そこで7年ぶりに地元の座談会に参加します。

  

陽子さん:「よく来たわー」みたいな感じで。もう顔を見ただけで涙が出てきて。たぶん安心というか、なんか私が泣いてるのを見て、「ねえ 大変だったやろう?」みたいな。「大変だった」「大変だった」みたいな感じで。 私のことを久々に見て、何が伝わったのか分かんないですけど、そういうふうに包み込んでくれて。やっぱり創価学会 温かいなってすごい思いました。

  

  

思いがけない提案

  

学会の同志と池田先生の言葉に背中を押され、決意を新たにした陽子さん。同じ頃、東京にいるかつての職場の先輩から思いがけない提案を受けます。

  

陽子さん:「自分で(エステ)サロンを出そうと思ってるんだよね」って相談されて。

  

「東京から栃木までの交通費も全て出すから、一緒に働いてほしい」
陽子さんは先輩の強い思いを感じます。

  

陽子さん:そんなふうに言ってくれるんだっていう。おじいちゃんの仕事を やりたいっていう気持ちは(先輩も)分かってくれていて。

  

「エステ」と「型染め」。
目の前にできた2つの道を前に、真剣に祈りました。

  

陽子さん:本当に一個一個祈りましたね。ちゃんと栃木と東京の生活が実現するようにっていうのがまず第一だし。技術をしっかり覚えられるようにとか。

  

「型染め」と「エステ」の二刀流

そして、思い切った決断をします。
「両方やる!」  

  

陽子さん:学会員だからって、なんでもうまくいくとは一切思ってはないんですよね。でも、何かあったときに、乗り越える精神力はたぶん鍛えられると思うから。 だから、そこの恐怖心は薄いというか、なんかとりあえずやってみようみたいな。

  

清人さんの元で、厳しい指導を受けながら、1週間ごとに東京と栃木を往復します。

  

  

清人さん:あなたのを見てたら、ずっと描いた線をなぞっている。これは型紙としては0点。

  

「両方やるのは中途半端」。
当初は反対していた清人さん。しかし、限られた時間の中で、誠実に学び続ける姿を見て、次第に認めてくれるようになりました。

  

  

初めて仕上げた作品は、美術展で入選。最も喜んだのは清人さんでした。

  

  

昨年の12月。制作した作品が初めて売れるなど型染め作家として着実に歩みを進めています。

  

  

伝統の技を、新たな形で未来へつなぐ

  

陽子さん:初めて売れて良かったって、私は思ったんですけど、でも、お客さんたちが「今日デビューできたんだよ」って。「これからだよ」って言われて。 この先の長い染め物人生のやっとスタートラインに立てたなっていう感覚になりました。

  

清人さん:造形的な物とか、そういうものに対する思いっていうのは、深いよ。あの子は。いろんなものに興味を持つけど、それが生きるようになっていけばいいかなと思ってね。

  

陽子さん:いつかやりたいなと思ってるのは、愛犬とかご家族とか何か残したい思い出とかの写真を送っていただいて。それを型紙に起こして自分の好きに染めて世界に一つだけの型染めみたいな物を作りたいなとか。オンリーワンこそ輝くと思ってるから。

  

  

陽子さん:(御書の)「女子(おなご)は門をひらく」っていう言葉が私はすごい好きで。 この染め物というおじいさんとかが多い中に入り込んでいくから、自分のモットーみたいな感じで。新しい門を開いていくよという意味で捉えて。 そういう感覚で暴れてます。 自分の思うように突き進んでおります。