このページの本文へ移動

本文ここから

唯一無二の人生を楽しむ!故郷で挑戦を続けるクラフトビール醸造家(奈良県宇陀市)

公開日:


クラフトビール醸造家・米田義則さん。
米田さんが造るのは、ハーブやスパイスを使用した個性的なビール「ハーバルクラフトビール」。コロナ禍の影響を受けながらも、困難に立ち向かい、新たな道を切り拓いていく米田さんに、これまでの歩みを語ってもらった。

未知の世界の味をつくる「ハーバルクラフトビール」

奈良県宇陀市。
クラフトビールを造る米田義則さんのお店と醸造所がある。

  

  

米田さん:(クラフトビールの製造について)70%ぐらいはイメージできているんですけども、残りの30%は未知の部分が多いんですけども。今までにないような感覚で新しいテイストを味わってもらいたい。毎年、毎年、未知の世界のレシピを作っているような感覚です。

  

米田さんの一日は、朝の勤行から始まる。

  

  

米田さん:今日一日やる仕事であったりとか、目標をしっかり決めて祈っています。

  

米田さんが造っているのは、ハーブやスパイスを使用した個性的なビール。「ハーバルクラフトビール」だ。

  

  

米田さん:宇陀はもともと1300年以上前の飛鳥時代から薬草狩りというのが行われていて。そういう歴史も踏まえつつ、その薬草とビールというコラボレーションで、『奥大和ビール』オリジナルの新しい形のビールを作っていければ、また自分らしいし、地域の魅力も発信できると。

  

全国にそのファンは多く、地元・宇陀市の「ふるさと納税の返礼品」にも選ばれている。

  

20代から40代ぐらいをターゲットに

  

米田さん:20代から40代ぐらいの女性の方をターゲットにしようというところで、しかもキャッチーで、ポップで。可愛らしいけど、しっかりデザイン性もある。
味とデザイン、両方から勝負していくことになりました。

  

「飲んだ後の風味が確かに」「香るね、美味しい!」女性にも人気が高い奥大和ビール

  

ブランドを立ち上げた翌年、初めてエントリーしたビールの国際大会「インターナショナル・ビアカップ」で、いきなり金賞に輝いた。

  

  

米田さん:2020年に『トップアワードアジア』っていう、そのデザインの賞もいただいて。

  

地元・奈良で人気のお店のオーナーも、米田さんのビールに高い評価を寄せる。

  

オーナー:チーズとの相性なんですけど、なかなかビールとハーバルなビールと合わせるというのはなかなかそんな容易い事ではないんですが、それが奈良県宇陀っていうところのビールとヨーロッパの向こうのチーズっていうのが融合する。
今、全国にクラフトビールって700社ほどあるんですね。その中で唯一無二なビールを作っていると思います。

  

唯一無二なクラフトビールを造る米田さん。その原点は、17歳の時に遡る。

17歳で入会。「目の前の山を登れ」との言葉に背中を押された

  

  

米田さん:17歳の時、当時バンドを組んでおりまして、同じバンド仲間の方から、この『青春対話』をいただいたんですね。最初、創価学会という団体を僕は全然知らなくて。 池田大作先生という方も全く知らない状態で『青春対話』を読んだんですけど、当時悩んでたことの全ての答えが書いてあったんですね。

「自分の使命を分かるにはどうしたらいいでしょうか」という質問に、池田先生が「じっとしていたのではわからない。何でもいい何かに挑戦することです。」こういう風に言われてます。

とにかく目の前の山を登りなさいという風に言われているのがすごく刺さって。それでよし、もう東京に行って自分の夢をかなえようということで、すごくこの背中を押していただきました。

  

  

そして、創価学会に自ら入会した。ギター片手に上京し、バンドでデビューを果たす。
28歳で里奈さんと結婚。二人の子供にも恵まれた。
そんな米田さんの人生のシナリオに、新たな1ページが記されようとしていた。

音楽の仕事から新たな挑戦へ。大切にした3つのこと

  

米田さん:東京で20年、音楽の仕事をしながら、家族もできて一つの区切り目として、 何か一つ、また違う挑戦がしたいなと思い立って。

  

そんな時、故郷の宇陀市が起業家を募集していることを知った。
米田さんは応募し、採用された。

  

米田さん:池田先生は、『青春対話』でちょうど言われていたのを思い出して。
一つは自分の好きなことであること。
得をすること。
社会にとっていいこと。
僕はビールが好きなので、このビールでまずやっていこうと。ビールやろうと思った前から、メディカルハーブの勉強とか薬草の勉強をしていたので。

  

  

自分のスキルと、故郷宇陀市の資源を生かして新しいビールを造っていきたい。
米田さんはすぐに行動に移していった。

ゼロからつくり上げたオリジナルのビール

  

米田さん:40軒ぐらいのビール屋さんをめぐって、実際に仕込みをやらせていただいくところもあったし。設備のこととか一からいろいろ教わりながらやってきて、ほとんど家に帰れずにパソコンと向き合ったり、設備の導入とかあったので。

  

わずか6か月で「奥大和ビール」を完成させた。

  

米田さん:今思い返すと、半年間、何をしていたのか分からないくらいの感じです。
今までも音楽業界でミュージシャンとして活動していた時も、ちょっと一風変わった新しい作品を作っていて、実はそれがコアなファンにはすごく魅力だったりして。
なので、このハーブ・スパイスを使ったビールを作ったとしても、必ずそこに新たなファンが生まれてくるっていうのは、確信はありました。

  

  

やがて「奥大和ビール」は、高い評価を受け、県外からも多くのお客さんを呼ぶようになった。取り扱うレストランや飲食店も増えていき、2店舗目もオープンした。
しかし、そんな米田さんに、コロナ禍は容赦なく襲い掛かった。

コロナ禍を支えてくれた存在

  

米田さん:みるみるお客さんも来なくなって、イベントも全くないという状況で。

  

里奈さん(妻):本当にコロナは未曾有で予想していなかったので、本当につらかったですね。

  

米田さん:当然売り上げも落ちてくる中で、回復の見込みはないだろうなって。

  

オープンしたばかりの新店舗は閉めるしかなかった。しかし、米田さんには、逆境を支えてくれた存在があった。

  

里奈さん:一番つらいのは主人だっていうのを思っていたので、もう家では笑ってあげようというふうに思ってたんですが、本当にとにかくお題目をあげました。

  

  

そして、創価学会の励ましの輪があった。

  

米田さん:何か悩んだ時に、ぶち当たった時に、常に励ましてくれるので、後を振り向かずに、前に常に進んでいける。そういう力強い宗教なんじゃないかって思っています。

  

  

祈り、智慧を絞った。コロナに負けない!新たな一歩を踏み出していった。
店舗に隣接する空き家を改装し、個人の醸造所では珍しい宿泊施設をオープンした。

  

困難をバネに次の山へ

  

米田さん:飲んで泊まって、そこで寝るという体験をすることで、その地域の印象がすごく記憶に残るみたいなんですね。
目の前の山をとにかく登っていく、その登り切った後に次の山が見えてきて、どんどん自分の挑戦していくべき道というか、そういうものが見つかっていくんですね。

  

そして、酒粕を使った新作のビールが、国際大会で2度目の金賞に輝いた。
さらに次の山へ。挑戦を続ける米田さんだ。

  

米田さん:どういう人生を送っていくかっていうのは、自分で決めて、自分で決めながらも自分が主人公として、その物語、人生を送っていくっていうのが大事なので、いかに面白い脚本を書くか。大変で苦しいこともやっぱり紆余曲折があってこそ面白いドラマだと思うんで、そういう人生を脚本していきたいですね。