仏法の系譜

創価学会の三代会長

日蓮仏法を現代に展開する創価学会
日蓮大聖人の思想と行動を、命を賭して、現代に蘇らせたのが、初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田城聖先生、第3代会長・池田大作先生という創価の三代会長です。

創価学会は、1930年(昭和5年)11月18日、牧口先生と戸田先生(当時理事長)によって創立されました(創立当初の名称は「創価教育学会」)。そして、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現しゆく教団として発展していきます。
「死身弘法」の精神を体現した牧口先生
牧口先生は、第2次世界大戦中、国家神道をもって宗教・思想の統制を図る軍部権力と敢然と対決するとともに、権力に迎合して自らの信仰を捨てた日蓮正宗を厳しく諫めました。

1943年に治安維持法違反ならびに不敬罪の容疑で検挙されてからも、いささかも信念を揺るがすことなく、信教の自由という基本的人権の尊重を訴え続け、翌44年11月18日、奇しくも創価学会創立の日に、獄中で逝去しました。

牧口先生は、「死身弘法(身を賭して仏法を弘めること)」の精神を自身の殉教によって後世に遺したのです。
日本の広宣流布の基盤を確立した戸田先生
戸田先生も、牧口先生と同じく、軍部権力の弾圧により投獄されました。2年余の獄中生活の中でも信念を貫き、法華経の真髄を「仏とは生命なり(仏とは、自身の生命そのものであり、宇宙そのものでもあるとの意)」と会得しました。

1945年7月3日、戸田先生が出獄した時、創価教育学会は壊滅状態でした。敗戦で国土も国民の心も荒廃しきったなかで、会の名称を「創価学会」と改め、会の再建と民衆救済への運動を開始しました。

当時3千世帯ほどだった組織を拡充し、後継の弟子の育成に全力を注ぎながら、生涯の願業とした75万世帯を7年足らずで達成。日本における広宣流布の基盤を確立したのです。
世界広宣流布の大道を開いた池田先生
池田先生は、1947年、19歳で創価学会に入会。戸田先生に師事し薫陶を受けます。

1960年に第3代会長に就任し、SGI(創価学会インタナショナル)の発足など、創価学会の飛躍的・国際的な発展をもたらし、仏教史上初めて世界広宣流布の大道を開きました。今日では、日本および海外各国で会員数は増加し、日本では世帯数827万を数えるに至っており、会員の居住国は、世界192カ国・地域に広がっています。

また、世界平和を希求する仏法者として、これまで世界54カ国・地域を訪問。各国の指導者、文化人等との対談、大学での講演、平和提言などを積極的に行い、人類普遍のヒューマニズムの哲学を探究し、平和のための善の連帯を築いてきました。
三代会長は広宣流布の永遠の師匠
牧口先生、戸田先生、池田先生の「三代会長」に貫かれた「師弟不二」の精神と、広宣流布への「死身弘法」の実践こそ「学会精神」であり、創価学会の不変の規範です。ゆえに、創価学会は、「三代会長」を「広宣流布の永遠の師匠」と仰ぎ、学会員は、その指導に基づいて、さまざまな活動を展開しています。

個人の日々の活動では、人生のさまざまな課題に挑戦しながら、唱題の実践によって、自身を深く見つめ、内なる希望と勇気を引き出すとともに、人間性あふれる価値観を確立し、豊かな人格の完成を図っています。この実践を「人間革命」と呼んでいます。

学会員は、日常的な対話や会合などで日蓮大聖人の御書や池田先生の指導などを学び、それぞれの実践体験を語り合い、そして互いに励まし合い支え合いながら活動しています。

さらに自らの信仰体験や仏法思想を友人・知人に語り、仏法という生命の法理と創価の人間主義の運動への理解・共感を広げ、同志のスクラムを拡大しているのです。
創価学会とは