2025.10.25
自分を信じる心が、未来をひらく ~日蓮大聖人のことば~「宝塔」
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いまや、SNSを眺める時間も、すっかり私たちの日常になりました。
楽しい投稿に元気をもらうこともあれば、ときには自分と比べて気持ちが沈んでしまう、なんてこともあるかもしれません。
でも、本当は、誰かと比べる必要なんてありません。
どんな人も、自分らしく輝ける大きな可能性を、必ず秘めています。
鎌倉時代、日蓮大聖人は、一人の人間に具わる「無限の可能性」を説き続けました。
門下に送られたお手紙の中から、その教えに触れてみましょう。
法華経のストーリー「虚空会の儀式」
釈尊の教えの精髄である「法華経」は、さまざまな譬喩を用いながら、私たちの「生命」についての壮大なドラマを描いています。
全ての人に仏の生命が具わっていることを明かし、その仏の生命を顕すことで真の幸福を実現していくという教えが説かれているのです。
その法華経の重要なストーリーの一つに「虚空会の儀式」があります。
金や銀、宝石などで飾られた巨大な「宝塔」が大地から出現し、虚空、すなわち空中で、全宇宙から集まった仏や菩薩たちに対して釈尊の説法が行われます。
日蓮大聖人は、この「虚空会の儀式」の姿を用いて、信仰の対象である御本尊を顕されました。
「宝塔」が意味するもの
この「宝塔」が一体何を意味しているのか、大聖人に尋ねた門下がいました。
その問いに対して、大聖人はお手紙の中で次のように教えられています。
末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。
〈阿仏房御書(宝塔御書) 御書新版1732㌻・御書全集1304㌻〉
法華経を実践する人の姿そのものが輝く宝塔である。
つまり、私たち一人一人が法華経に説かれる「宝塔」と同じ存在であると教えられたのです。
もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。
〈阿仏房御書(宝塔御書) 御書新版1732㌻・御書全集1304㌻〉
南無妙法蓮華経の題目を唱える人は、身分や社会的な立場に関係なく、一人ももれなく尊い宝塔であり、多宝如来であると仰せです。
多方如来とは、法華経が説かれる場所に「宝塔」を涌現させ、法華経が真実であることを証明すると誓った仏のことです。
法華経に登場する「宝塔」の荘厳さは“一人の生命の尊さ”を示し、その巨大さは“生命に具わる無限の可能性”を示しているとも言えるのではないでしょうか。
さらに重要なことは、自分自身が宝塔であると同時に、周囲の人々も同じく宝塔であるということです。法華経で大地から宝塔が涌現したように、全ての人が心に宝塔を現していく、すなわち、無限の可能性を開いていくことこそ、法華経に「宝塔」が説かれた意義といえます。
誰もが、未来を開く力をもっている

創価学会はこの心で、目の前の一人を「宝塔」と敬い、励ましの輪を広げてきました。
時に人は、失敗から自信を失い、自分の限界を決めてしまうことがあります。
しかし、私たちは、過去がどうあれ、境遇がどうあれ、常に新しい未来を開く力を持っています。どんな困難があろうとも、それを乗り越える可能性を秘めているのです。
池田先生は、次のようにつづっています。
本来、自身が宝塔でない人は、断じていません。また、それぞれが自分の特性に合わせて、自分らしく輝いていけばよいのです。万人がそれぞれに輝き、互いに照らし合っていくのです。一切の出発点は、どこまでも、自分の可能性を信頼することから始まります。仏法は、全ての人の味方です。そして誰もが、世界を照らす希望の太陽となれるのです。
(『未来の希望「正義の走者」に贈る』)
たとえ小さな一歩であっても、それを積み重ねていくことで必ず自身の可能性が花開いていきます。
自分を信じ、自分らしく、できることから挑戦の歩みを開始していきましょう。
