創価学会の教義

立正安国と広宣流布

仏法を実践する目的は、個人の一生成仏を実現するとともに、自他共の幸福を確立していくことにあります。日蓮大聖人は、現実の社会に自他共の幸福を確立していく実践の指標として、「立正安国」と「広宣流布」を説かれました。
立正安国(りっしょうあんこく)
日蓮大聖人の仏法は、各人の生命境涯を変革し、今世のうちに絶対的幸福境涯を開くことを可能にする教えです。それとともに、各人の生命境涯の変革を通して、社会全体の平和を達成することを目指しています。

大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」のなかで示されました。

「立正安国」とは「正(しょう)を立(た)て国(くに)を安(やす)んず」と読みます。

「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また、仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。

「立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より一歩深く、民衆の生活の基盤としてとらえられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。

大聖人が民衆を中心に国をとらえられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「囻」の字を用いられていることにも、うかがうことができます。

また、大聖人は「王は民をおやとし」(御書新版1886㌻・御書全集1554㌻)と述べられ、権力者も民衆を根本とすべきであるとされています。また、国主となりながら、「民衆の歎き」を知らない者は、悪道に堕ちると言われています(御書新版379㌻・御書全集36㌻)。

「立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって、未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。

大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを、身をもって示されたものと拝察できます。

「立正安国論」では「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか」(御書新版44㌻・御書全集31㌻、通解──あなたは、一身の安堵を願うなら、まず四表の静謐〈周囲の平穏、世界の平和〉を祈ることが必要ではないのか)と仰せです。

社会の問題から目を背けて、宗教・信仰の世界だけに閉じこもる利己的な姿勢は、むしろ大乗仏教において厳しく戒められています。

創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で、地球的課題の解決に取り組んでいるのも、「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。
広宣流布(こうせんるふ)
仏の覚りである正法を人々に流布し、万人を仏の境涯に導くことこそが、仏法の目標です。

それゆえ、法華経でも「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601㌻、通解──私〈釈尊〉が入滅した後、末法において、全世界に正法を広宣流布して断絶させず、決して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼などの魔物につけ入らせてはならない)と説かれています。

この経文は、「後の五百歳」、すなわち末法において、妙法を全世界(一閻浮提)に広宣流布していくべきことを述べたものです。

また、法華経では、末法の広宣流布が「地涌の菩薩」に託されます。地涌の菩薩は、久遠(計り知れないほどのはるか昔)からの釈尊の弟子として、鍛えぬかれた菩薩とされています。

法華経の説法の場では、大地の底から無数の地涌の菩薩が涌現します。そして、上行菩薩を中心として、釈尊滅後の妙法蓮華経の弘通を誓います。

釈尊は、自分の滅後に、この地涌の菩薩が娑婆世界に出現して、太陽や月のように衆生の闇を照らして、人々を救うであろうと予言します。
広宣流布こそ大聖人の根本精神
大聖人は、この法華経の経文通り、末法の悪世で、命に及ぶ幾多の大難を忍ばれて、南無妙法蓮華経の大法を弘通されました。

御書には広宣流布について、次のように仰せられています。

「『大願』とは、法華弘通なり」(御書新版1027㌻・御書全集736㌻)

「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(御書新版261㌻・御書全集329㌻)

「日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ」(御書新版205㌻・御書全集288㌻)

まさに、広宣流布こそ、日蓮大聖人の根本精神です。

大聖人は、弟子にも、広宣流布に生き抜き、成仏を実現し、立正安国を実現していくよう、繰り返し促されています。
創価学会こそ広布の唯一の団体
この大聖人の御精神を受け継いで、御書に仰せの通りに妙法を弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧(仏法実践者の集い)が創価学会です。

「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書新版1791㌻・御書全集1360㌻)と仰せのように、大聖人の御心のままに妙法を広めてきた創価学会こそ、広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の団体にほかなりません。

大聖人滅後七百年、創価学会が出現するまで、誰も妙法を広めることはできませんでした。創価学会が釈尊と大聖人の未来記(予言)を実現したのです。そこに創価学会が広宣流布の使命を担って出現した、仏意仏勅の教団である根拠があります。

そして、「閻浮提に広宣流布」と経文に示されたように、事実の上で、日本はもとより、世界中に妙法を広めてきたのです。
創価学会とは