2025.01.17
芸歴32年、入会6年目。津軽三味線奏者・虎高「コロナ禍に直面して感じた自分の変化」
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『虎高』こと、安部高広さん。
各地で精力的に演奏を行う新進気鋭の三味線奏者。
安部さんも、コロナ禍に立ち向かい挑戦する一人だ。
安部さんは津軽三味線教室「虎高会」を主宰し、多くの弟子を育てている。
大衆演劇の旅芸人一家に生まれ、3歳で初舞台を踏んだ。
安部さん:新吾十番勝負とか、中学卒業するかしないか、もうそん時にはもう大人の役を普通にこなしてました。
僕は正直言うと芝居とか踊りとか、まぁ殺陣とか、そんなことよりも僕は三味線が好きだった。
中学卒業後、15歳という若さで劇団の座長を任された。
全国での公演も成功させ、順調そのものだった。
だが、24歳の時に起きた、あの東日本大震災。
人生をかけて築き上げたものはすべて崩れ去った。
全公演が中止になり、劇団は解散した。
安部さん:自分はもうとりあえず九州に帰るしかなくなって、一気にこう夢も失っちゃったんっすよね。
自分が今まで、座長をやって芸人やって、そのためにこう一生懸命やってきたのが、全くできなくなる。
言葉では言えないほど辛かったす。もうその当時振り返れば、僕は、ホント言ったら死にたかったすね。
それからというものも本当に、もう酒飲んで喧嘩して町中の嫌われ者になりました。
手元に残されたのは一竿の三味線のみ。
公園、高架下、橋の上、三味線を弾き続ける以外、生きる術がなかった。
先の見えない日々は何年も続いた。
そんなある日、演奏に訪れた介護施設で、一人の女性に出会う。
まゆみさん:すごく痩せてて、髪も長くて、なんか目がギラギラしてたんですよね。常になんか悩んでるっていう顔が、私には映ってて。
でもやっぱり、いざ弾くとちょっと違うっていう感じで。
まゆみさんは、演奏会の度に、車で送り迎えをしてくれた。
そこで様々な話をするようになった。
安部さん:(まゆみさんが)学会員だってこいうことは薄々感じていました。
大衆演劇の中にも学会員さんっていらっしゃったんですね。
学会の人たちって、ほんと元気なんすよ。
まゆみさん:(安部さんから)「なんか宗教されてますか?」って聞かれたんです。
「私は創価学会入ってるんです」って。
で(安部さんから)「いやいや、もう僕もいろんな宗教をしてきましたけど、もうどれやっても一緒です」って、「でも学会はしたことがありますか?」って言ったら、あの「無い」って言ったので、「題目あげるとね、変わるって、試したらどうですか」っていう風に言ったと思います。
安部さん:僕、こう、3カ月どうしようかなと思ってたんすよ、もう入るか入るまいかとか。
いやもう抜き差しならん状況に、もうこれ以上(悪い状況には)ならんだろって思って。
とりあえず座談会に第1回参加させていただいて、したらもう地域の皆様がこうもうねえ、もうほんと楽しそうに、みんなとねぇ楽しく、その信心の話をされてるし、それからもう腹くくって入会決意しました。
安部さん:祈れば祈るほど、やっぱりこう、元気も出るし、(題目を)あげた時と、あげない時の差ってほんと演奏にすぐ出ます。題目を唱えてるときは、スムーズにいくんすよ。もうホントにこう、自分が弾いてて鳥肌立つぐらいあるんすね。で何よりやっぱり、池田先生のこの指導とかも本当に胸に響く。
まゆみさん:いろんな人との出会いがあったり、やっぱ先生の指導が入って、感謝をするようにもなったし、こう弾く曲も、弾き方もすっごい変わってきました。
安部さん:仕事もそうで、最初ください、くださいてこう思って祈ってたんですけど。やっぱ自分が、お役に立たせてくださいっていう、祈り方をすると、仕事は来る。
決意込めて祈ったら、本当にデカイ仕事が来ました。
仕事も軌道のって来た矢先、新型コロナウイルスの蔓延。
芸歴30周年記念公演も中止に。再び試練が襲った。
安部さん:収入が、ゼロになりまして、僕が一番荒んでたあの頃とまったく同じ状況がまた来たかとなって。僕学会に入ってなかったら、また僕酒飲んで暴れてウサ晴らしていると思うんですよね。今回コロナでフって、今できることは何かって思った時に、あぁ生徒を育てよう、一人でいいから、育ててみようと真剣にその思える自分に自然となってた。
コロナ前に比べれば、公演の依頼はまだまだ少ない。
だが安部さんは決してあきらめない。
安部さん:不安はあります。ただ、違ったのは、その不安に押しつぶされるか、どうか、だと思うんすよ。池田先生は「生きるということは、不屈である」って言われたことがあって、また困難が来るけれども、それを立ち向かえる自分が嬉しい。最終的には乗り越えて素晴らしい人生を歩むっていう。絶対的な幸福があるよって教えてくださっているのが、この学会だと思います。
まゆみさん:30周年のコンサートの続きをね。やっぱり是非やりたいし、池田先生にもみてもらいたいところもあるので、どんどんやっぱり変わって。大きく言えば、そんなこと言うなっていうんですけど、民音で呼ばれるぐらいの、人になってほしいです。(笑)
安部さん:社会から認められる演奏家、社会から必要とされる演奏家として、将来は日本全国行きたいなと思ってますし、世界を飛び回ってみたいなと思います。