【震災証言】“負げでたまっか!” 今いる場所で福光の人生を(福島県・浪江町)

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東日本大震災、福島原発事故より11年。
福島県浪江町(なみえまち)は、福島県浜通り(沿岸部)の北部に位置し、双葉郡に属します。

福島県では、東京電力福島第一原子力発電所の事故のため、双葉郡の市町村の住民は避難を余儀なくされ、浪江町21,000人の町民は全国に散り散りになりました。

  

平成29年(2017年)331日には、一部地域の避難指示が解除され、一部地域での居住ができるようになるなど、復興に向けた取組が進められています。一方、現在も多くの町民が福島県内外での避難生活を余儀なくされています。<参考:浪江町ホームページ

  

今回、証言会で登壇した伊藤博栄さん、幸子さん夫妻は長年浪江町に暮らし、夫婦二人三脚で地域貢献に尽くしてきました。

福島第一原発事故による避難指示により、浪江町の自宅から避難先を転々とし、現在はいわき市に自宅をかまえ、地域に根を張り、今いる場所で信頼の輪を広げています。

  

<証言会の様子 左:博栄さん、右:幸子さん(福島県・いわき平和会館)>
<証言会の様子 左:博栄さん、右:幸子さん(福島県・いわき平和会館)>

  

※本記事は、2022年3月29日に開催された創価学会東北青年部主催のオンライン証言会の映像内容を記事にしたものです。

3・11当日から避難場所を転々とする

(以下・幸子さんの証言)
私たち夫婦が住んでいたのは双葉郡浪江町。地域に根を張り多くの同志や友人たちに囲まれていました。そんな変わることはないと思っていた日常がなくなるなど夢にも思っていませんでした。

2011年3月11日、夫と自宅にいる時に地震に遭いました。近所の人が、大津波警報が出ていることを知らせに来てくれました。避難しようとしましたが、近くの道路は通行止めに。やむなく自宅に引き返し、右往左往しながら一夜を明かしました。

翌日になると、“すぐに避難しなさい”との指示が行政から出されました。後から原発事故のためだと分かりましたが、当時は理由も何も知らされません。

避難先となったのは津島地域の体育館。
通常は30分ほどの道のりが渋滞のため、この時は半日がかり。夕方に着いた頃には既に大勢の町民でごった返していました。着の身着のままで、当初は段ボールの敷居もありませんでした。仕方がないとはいえ底冷えする生活は体にこたえました。

  

  

その後、郡山(こおりやま)市の福島文化会館。駅前のビル。そして いわきの長男宅へと避難を重ねました。

  

<創価学会 福島文化会館(郡山市)>
<創価学会 福島文化会館(郡山市)>

防護服を着て初めての一時帰宅

震災からの時間が経過するにつれ、次第に厳しい現実を耳にするようになりました。

浪江町、特に沿岸部の請戸(うけど)は津波で甚大な被害を受けました。
車ごと流れされ九死に一生を得た友、亡くなった顔見知りもいます。

そして、だんだんと原発事故の実態も分かってきました。
放射線量が高く、警戒区域に指定された浪江町の自宅に防護服を着て、初めて一時帰宅をした時のことです。

  

<防護服を着て一時帰宅>
<防護服を着て一時帰宅>

  

ネズミが繁殖し家の中はふんだらけ。目にした瞬間に心がガクッと落ち込みました。
思い出が詰まった家財はほとんど処分せざるを得ませんでした。

  

<家の中は繁殖したネズミのフンだらけに>
<家の中は繁殖したネズミのフンだらけに>

厳しい現実の中で、支えとなった原点

想像すらしなかった事態に直面した時、私の支えになったのは池田先生との原点です。
池田先生が第3代会長にご就任されて間もなくの頃だったと思います。学会本部で池田先生の指導を受ける機会がありました。

「広宣流布に人生を捧げる決意はありますか?」
池田先生が最後におっしゃられた問い掛け。その声が私の胸にはずっと残り続けています。
その時、夫も私も覚悟を決めたのです。
「全ては広布のためどんな大変な時にもこの誓いに生き抜くんだ」と。

自分が今いる場所を理想の場所に

以来、心に留めてきたことが二つあります。

一つは、“どこであれ、自分が今いる場所を理想の国土に変えていこう”という挑戦です。
浪江でもいわきでも、実践してきた活動の一つに近隣への声掛けがあります。

自宅の隣組はもちろん、いわき文化会館の周辺のあいさつ回りを一緒に行い友好を広げてきました。

それは震災後避難した先々でも続けてきました。
平成27年(2015年)に移り住んだ現在の地で新たに始めたのは、早朝の散歩です。夫は毎朝5時から出掛け、後ほど私も合流します。

段差がある場所や横断歩道を渡る時は夫が手をつないで歩いてくれます。そうして夫婦仲良く散歩をしているのを世間の人は、よく見ています。

  

<毎朝手を繋ぎながら一緒にする“早朝散歩”>
<毎朝手を繋ぎながら一緒にする“早朝散歩”>

  

見ず知らずだった土地にも関わらず一人また一人と顔見知りが増え、続けることで信頼につながり、今では数十人の地域の方と声を掛け合える間柄になりました。

後継の祈りを深く――子どもたち、孫たちを育んできた

もう一つが“後継の祈り”です。
あの日築いた池田先生との原点以来、祈りを深くしながら5人の子どもを育ててきました。
11人の孫たちも創価大学やアメリカ創価大学を卒業したのをはじめ広布後継の大道を歩んでいることが何よりの喜びであり、誇りです。

この池田先生との誓いがあったから私は「3・11」に負けませんでした。
そして、年齢を重ねたからこそ果たせる使命がある。私はそれを今感じています。生涯青春の心で弟子の誓いに生き抜いていきます。

それではここで、毎朝いつも手をつないで広布の散歩道を歩く夫に、バトンタッチします。

「3・11」以来、聖教新聞の切り抜きを続ける

(以下・博栄さんの証言)
「3・11」以来、聖教新聞に掲載された震災からの復興に関する記事の切り抜きを続け、その数は100冊を超えました。

  

<100冊を超える聖教新聞の切り抜き>
<100冊を超える聖教新聞の切り抜き>

  

東北、福島一色になった切り抜きを見返すたびに、限りない池田先生の真心と期待を感じ感激して涙が出ます。

こんなにも素晴らしい師匠に縁できたことは、何ものにも代え難い福運を頂いたのと同じことです。この時代に生まれ合わせたことが最高の功徳です。

故郷・浪江で築いたこの確信は「3・11」を経ても微動だにしませんでした。

福島が舞台となる『新・人間革命』

東日本大震災から半年を経た2011年9月。
まだまだ先が見えない生活が続く中で池田先生に連載を開始していただいたのが、小説『新・人間革命』「福光」の章でした。

広布の草創の記憶が毎日毎日 「福光」の章をひもときながら、よみがえってきました。

  

<福島が舞台となっている「福光」の章>
<福島が舞台となる「福光」の章>

  

“ああ そうだ!先生は私たちの戦いを全て分かってくださっている!”
感動に打ち震えるとともにふつふつと“負げでたまっか!”との闘魂が湧き上がってきました。

大変な時こそ、まずは自分が一人立ち、目の前の友を励まそうと決意したのです。

避難を強いられた一人一人が、生き生きと信心に励めるように

大震災から程なく原発事故等で避難を強いられた一人一人が、生き生きと信心に励めるよう激励を重ねていくことを目的に結成された「うつくしまフェニックスグループ」。

  

  

私もその幹事として メンバーのもとへ家庭訪問に歩いてきました。その中で実感してきたことは創価学会員として生きるとは鬼に金棒なんだということです。

日本中、世界中のどこにいようが広宣流布の使命を全うできる。素晴らしい組織を私たちは池田先生につくっていただきました。
そのありがたさを誰よりもかみ締めているのが福島の私たちではないでしょうか。

  

<各地で励まし合うメンバー>
<各地で励まし合うメンバー>

「一番苦しんだ人が一番幸福に」

その前進の誓いを確かめ合う場が、コロナ禍前まで毎年、首都圏・学会本部と福島県で開催してきた「フェニックス大会」です。

集うメンバーは 皆が言うに言われぬ思いを抱えながら、「3・11」からの日々を懸命に生きる友です。

せめて会合中は笑顔になって“一番苦しんだ人が一番幸福に”との池田先生の指針を体現したい。

そうした思いから私も、有志で結成する「負げでたまっか劇団」の一員として私も出演させていただいています。

毎回、笑いあり涙あり。

演劇は大の苦手で、家で入念に妻と練習を積んでから本番に臨みますが、ありがたくも終了後には多くの同志から感謝と決意の声が寄せられます。

  

<有志で結成された「負げでたまっか劇団」>
<有志で結成された「負げでたまっか劇団」>

「何が起きても負けなかった」生き方を伝えたい

この11年、同志と語り合うたびに感じるのは、“何があっても変毒為薬していこう”、“負げでたまっか!”という生命が板に付いてきたということです。

試練のたびに一人一人が自分らしく境涯を高めてきたからだと思います。
それは、大聖人の御書の通り池田先生の指導のままに歩んできた証しとも言えます。

「3・11」からの“福光”の戦いはこれからも続くでしょう。
しかし、この先何十年もたったとしても、“池田先生と共に生きて生きて生き抜いたわれわれの「じーちゃん、ばーちゃん」はこんなにも幸せで、なんぼ何が起こっても、負けなかったんだ“っていう生き方を伝えていきたい。

  

  

そのためにも、私たちはきょうを勝ちます。そして、師弟の誓いを果たします。
本日は大変にありがとうございました。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。