デルボラフ博士と池田大作先生の対談集『二十一世紀への人間と哲学-新しい人間像を求めて』

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ドイツの哲学・教育学の専門家でボン大学名誉教授のヨーゼフ・デルボラフ博士と池田大作先生との対談集『二十一世紀への人間と哲学-新しい人間像を求めて』を紹介します。

『二十一世紀への人間と哲学 -新しい人間像を求めて』 ヨーゼフ・デルボラフ 池田大作
『二十一世紀への人間と哲学-新しい人間像を求めて』(聖教文庫)

  

池田先生にとっては初期の対談集の一つです。
デルボラフ博士との出会いは1978年10月。日本語版は1989年に発刊されました。

対談では日本の明治維新以降の近代化の過程で模範にした国がドイツであったこと、さらに両国の国民性には勤勉さなど多くの共通点があることなどがふれられています。

また、両国は、中国を中心とするアジアや、西方文明の中心であったローマ帝国内の「辺境の国」としてそれぞれ歩んだ共通の歴史を持つこと、さらに19世紀に入ってからは後進性を克服しようとの国民的焦燥を持った点も似通っていたとされています。

本書は、「日独両国の歴史的関係」から始まり、「伝統的生活の近代化」「西洋と東洋のヒューマニズム」「倫理と宗教の役割」「仏教とキリスト教」「教育問題」「未来のための現在」と、徐々に核心に迫っていく形の全7章で構成されます。

仏教は現代の科学的知見と矛盾しない哲学

デルボラフ博士によれば、キリスト教と仏教の共通点は、「自己の精神的完成をめざす宗教」である一方、最大の相違点は、仏教が「法」を根本とするのに対し、キリスト教は「人格神」を究極の実在とみなしている点です。

さらに仏教は科学の発展した現代にあって、科学的知見と矛盾する哲学ではないという考えで2人は一致します。

池田先生はイギリスの著名な歴史学者であるトインビー博士の言葉を紹介。

「いまから1000年後の歴史家が20世紀について書くとすれば、歴史家は自由主義と共産主義の論争などにはほとんど興味をもたず、人類史上初めてキリスト教と仏教が相互に深く心を通わせたときに何が起こったかという問題の方に心を奪われるだろう」との述懐を紹介。

さらにキリスト教の創始者であるイエスは、生存中、仏教の僧に触れ合うなどの影響を受けた可能性が大きいことを指摘し、仏教とキリスト教の対話が、今後の歴史にとって重要な意味をもっている、との認識を示しています。

地球的問題群の根本にあるものは人類の「責任感の欠如」

語らい当時、深刻になっていた核兵器の拡散や環境破壊などの地球的問題群。

その困難の根っこにあるのは人類の「責任感の欠如」であるとみていた博士。その解決の道は、本書の副題にもある「新しい人間像の確立にのみある」とし、その方途として、人間自身の「内面的革命」を志向しています。

対談集の原稿がまとまった時、博士はその原稿を「嬉しくて、いとおしくてたまらない」と言って枕元に置いていたといいますが、その発刊を待たず、博士は1987年7月に死去しました。

二人が期待した「世界への責任感」に立った「新しい人間像」を、次代の青年にこそ深く学んでいただきたい一書です。

  

【対談者紹介】 ヨーゼフ・デルボラフ(Josef Derbolav)

1912年、ウィーン生まれ。ウィーン大学で教育学、心理学、哲学等を修め、55年、ボン大学の哲学および教育学の正教授となる。

教育学・倫理学の中心的存在として幅広く活躍。1980年、名誉教授。アメリカ、ソ連(当時)、日本でも客員教授をつとめた。

『現代教育科学の論争点』『教育と政治』など著書・論文多数。1987年に没。

  

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