ライナス・ポーリング博士と池田大作先生の対談集『「生命の世紀」への探求-科学と平和と健康と』

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ビタミンCの研究で有名なライナス・ポーリング博士と池田大作先生の対談集『「生命の世紀」への探求』を紹介します。

「生命の世紀」への探求 ライナス・ポーリング 池田大作
『「生命の世紀」への探求-科学と平和と健康と』(聖教文庫)

  

「現代化学の父」と評され、世界でただ一人、単独で2つのノーベル賞(化学賞と平和賞)を受賞したライナス・ポーリング博士。

池田先生との最初の出会いは1987年、サンフランシスコに住む博士が創価大学ロス分校にかけつけて実現しました。対談はこの年と1990年に行われて本書が発刊されました。

迫害に屈せず貫いた反核運動とノーベル平和賞

博士は最初の受賞であるノーベル化学賞について「うれしく思いましたが、そんなにびっくりはしませんでした」と回想しています。

化学結合の性質や複雑な物質の構造に関して行った多くの研究が、過去25年間に化学の性格を変えてしまったことが認識されていたからです。
実際、ダーウィンやニュートン、アインシュタインに肩を並べる科学者として科学誌にも紹介されていました。

博士にとってむしろ驚きだったのは、ノーベル平和賞のほうだったと率直に述べています。
アインシュタインとの交遊があり、原爆開発の事情にふれていた博士は、日本へ原爆投下されて間もなく、核兵器問題に関する講演を始めました。

核戦争を起こしてはならない、核戦争の考えを放棄しなければならないとの内容でしたが、当時、米ソで苛烈な核開発競争が行われる中、博士をソ連の手先とみなして迫害する風潮が高まり、勤務していた大学を解雇されそうになったり、自分だけ昇給されないなどといった嫌がらせを受けたといいます。
博士のノーベル平和賞受賞はそうした迫害を経て受賞が決まったもので、本人からすれば「予想もしていなかった」ものでした。

博士が信念を曲げずに平和運動に打ち込めたのは、平和活動を熱心に行っていた妻からの信頼を得たいがためだったとの微笑ましいエピソードも語っています。

「国益」でなく「人類全体」に対する忠誠心が必要

本書で博士は、「忠誠心を国境の内側に限定するのは時代遅れであり、人類全体に対する忠誠心こそ今や必要不可欠」と語り、池田会長も「『国益』から『人類的』へ」との博士の主張に深く共鳴しています。

また、二人とも軍事に費やされている費用を世界中の人類の福祉のために使うべきと主張するなど、核兵器廃絶と軍縮を促進するための方途に言及しています。

最後に博士は、日本の役割に期待し、日本が「世界不戦」実現に向けて先頭に立つべきことを主張しています。

苦労して学ぶことは人生のプラスになる

対談集では二人の幼少期の生い立ちをはじめ、若いときに苦学した思い出なども語られています。

ポーリング博士は、9歳の時に父親が亡くなったため、大学2~3年の1年間、休学して仕事をし、母親に仕送りをしたこともありました。

苦労して勉強したことで、「懸命に長時間働く習慣が身についたことはプラスだと思います」との言葉は、苦労しながら学ぶ青年への励ましとなるでしょう。

化学の1分野に閉じこもるのでなく、さまざまな迫害をはねのけて平和運動に尽力した科学者の良心を感じる対談集は、平和な未来を創るために全力で戦う二人からのメッセージです。

  

【対談者紹介】 ライナス・ポーリング(Linus Carl Pauling)

1901年、アメリカのオレゴン州ポートランド生まれ。カリフォルニア工科大学、カリフォルニア大学サンジエゴ校、スタンフォード大学各教授、アメリカ化学会会長、ライナス・ポーリング科学・医学研究所理事長などを歴任。

ノーベル化学賞、ノーベル平和賞、レーニン平和賞、ロモノーソフ金賞などを受章。独自の化学結合論を築き上げ“現代化学の父”と呼ばれる。

主な著書に『化学結合論』『一般化学』『ノー・モア・ウォー』『ビタミンCとかぜ』『ポーリング博士の快適長寿学』などがある。1994年8月に逝去。



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