アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領と池田大作先生の対談集『平和の哲学 寛容の智慧-イスラムと仏教の語らい』

公開日:

先日(2017年9月)、インドネシア共和国の故アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領の夫人が東京の創価大学で講演を行い、創価女子短期大学の学生たちを前に、イスラムの平和精神や女性の使命について語りました。

ワヒド元大統領と池田大作先生との対談集『平和の哲学 寛容の智慧-イスラムと仏教の語らい』を紹介します。

『平和の哲学 寛容の智慧-イスラムと仏教の語らい』 ワヒド 池田大作
『平和の哲学 寛容の智慧-イスラムと仏教の語らい』(潮出版社)

  

本書はインドネシアの知識人との唯一の対談集です。

対談相手のワヒド氏は、インドネシアで初めて民主的に選出された大統領(第4代、1999‐2001)です。

世界で最もイスラム教徒の多いインドネシアにあって、国内最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の議長を務めた宗教指導者でもあります。NUは、ワヒド氏の祖父が創立に関わり、父親もそのリーダーを務めました。

池田先生との最初の出会いは、ワヒド氏が大統領職を離れた翌年の2002年、東京でした。

会見前年の2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が勃発。「文明の衝突」への危機感が世界に広がっていました。

もともと1980年ごろにトインビー対談を読んで池田先生とぜひ語り合いたいと思っていたワヒド氏は、本書でもトインビー対談の「内容は今もなお私の心をひきつけている」と語っています。

イスラム教と仏教の共通点「平等性」と「寛容性」

本書を読むと、ニュースなどで聞くイスラム教に対する日本人の一般的なイメージとはかけ離れたイスラム教の姿を感じるかもしれません。

もともと300を超える民族が共生するインドネシアにあって、イスラム教は「平等性」と「寛容性」がその特質であり、排他性とは対極に位置する宗教であることが強調されています。

ワヒド氏は、「イスラムは平穏をもたらすもの」と指摘するのに対して、池田先生も、仏教も同じく「平等性」と「寛容性」が中核的思想をなしていると述べ、もともと「イスラム」の語は「平和」を意味する言葉であることを紹介しています。

困難を乗り越えて「多文化主義」を推進したワヒド氏

ワヒド氏は、祖父や父から「民衆に貢献する心」を学びました。

父親はワヒド氏が13歳の時に、若くして亡くなりましたが、経済的に困窮しながらも母親は子どもたちに十分な教育を受けさせたいと首都ジャカルタに残りました。

ワヒド氏が順風満帆な半生を送ってきたわけでないことは、本書を手にとると一目瞭然です。

政治的な理由などにより三度にわたり命を狙われたこと、命を奪おうとしたのは個人的には良い関係を築いていた人たちだったこと、さらに大統領就任の前年には大病を患い、視力のほとんどを失ったことなどです。

それでいてワヒド氏は「困難を困難だとは思ったことはない」と述べている姿も印象的でした。

大統領退任後は「ワヒド研究所」を主宰し、宗教の共存や多文化主義を推進する活動をつづけました。

本書をひもとけば、世界屈指の人口大国であるインドネシアに、宗教的、文化的に寛容な歴史が宿っていることがよくわかります。

そのことを池田先生は「人類の宝」と形容していますが、今後の世界に求められるのが、こうした「多様性の中の統一」であることを感じます。

ワヒド氏は語らいの完結後、2009年12月に逝去。遺著となった本書は、氏の平和への思いが詰まった対談集です。

  

【対談者紹介】 アブドゥルラフマン・ワヒド(Abdurrahman Wahid)

インドネシア共和国元大統領。宗教指導者。1940年東ジャワ州ジョンバン生まれ。エジプトのアル=アズハル大学とイラクのバグダッド大学に留学してイスラム法を学び、イスラム学者、評論家として活動。1984年、イスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の議長に就任。貧しい農村部の発展やプサントレン(イスラム寄宿学校)の改革などに尽力する。

1998年、NUを支持基盤とする国民覚醒党(PKB)を結成して総選挙に臨み、第三党に躍進。第一党の闘争民主党と連立政権を組み、1999年~2001年、第4代大統領を務めた。

穏健派イスラム指導者として、他宗派等からも広く支持を受ける。2009年12月に逝去。

  

対談集の購入はこちら