「一人じゃないよ!」 原発避難の要介護者を励ますケアマネジャー

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福島県いわき市 中野 泉さん

  


中野さんの仕事は介護支援専門員、いわゆるケアマネジャーだ。介護を必要とする人の相談に応じてケアプランを作り、その人に合ったサービスが受けられるよう、介護事業所と連絡を取って支援する。

もともと担当していた地域は6町2村からなる双葉郡。原発から20キロ圏と重なる地域で、住んでいたのも第1原発から4キロの双葉町内だった。中野さん自身も避難者だ。

避難指示が出されると、夫の守雄さんと共に転々と動いた。介護支援で知り合った人たちが心配でならない。ただ無事でいてほしいと祈るしかなかった。伝わってくるのは、要介護者たちが強いられた過酷な状況だった。

中野さんが、いわき市内に落ち着いたのは震災翌月の末。それ以降、介護利用者の居所を捜しては、移転先の市町村や介護事業所に引き継ぐ作業が続き、それが一段落つくと、いわき市に避難している要介護者を担当することになった。

慣れない土地。狭い仮設住宅。生活のストレスは、介護する側にも、される側にも重くのしかかり、家族の心を引き裂いた。

デイサービスやショートステイを勧めても、「どうせ、家の者たちと一緒になって、俺をのけ者にしようとしてるんだろう。もう誰も信用できね」と、にらまれることもあった。「誰も知り合いがいなくて寂しいんだぁ」という嘆きに胸を突かれた。

相談に乗ろうにも相手がなかなか心を開いてくれないことがつらかった。「私も双葉の家に帰りたい」と、頬を涙で濡らすこともあった。
そんな思いを受け入れてくれたのは学会の同志だった。「泉ちゃんなら大丈夫。必ず乗り越えられるよ」
そのたびに「学会で教わったことを実践するのは今じゃないか」と自分を励ました。

「『一人じゃないよ!』って伝えよう。心が通うまで祈り続けよう。足を運び続けよう」と真剣に祈り、訪問の回数を2倍、3倍に増やした。介護の話は少なめに、聴き役に徹する。冗談も交え、笑顔が出るよう心を砕く。次第に向こうから本音を語ってくれることが増え始め、かすかな光が差したように思えた。

「避難している誰かを励まして、前を向いてくれるようになるとね、『自分も避難してきた意味があったかな』って思えるんです。もちろん現実は大変です。でも一緒に乗り越えて同じ被災者に勇気を送る使命があるって考えれば、やりがいがあるじゃないですか」