東日本大震災から12年「何があっても壊れなかった“励ましの絆”」(宮城県多賀城市)

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東日本大震災から12年。

あの時の思いを原点に、未来に向かって生きている人たちがいます。

仙台港の北に位置する宮城県多賀城市は、東北最大の物流拠点として、また仙台市のベッドタウンとして発展してきました。

  


この多賀城市で、創価学会の地域のリーダーとして活動をしていた大場忠義さん、宏美さん夫妻。

宏美さんは、地域のメンバーの家庭訪問をしていた時に地震に遭いました。

  

<左:忠義さん、右:宏美さん>

  

※本記事は、動画(https://youtu.be/DMya9xNH9P0)の内容を記事にしたものです。

2メートルを超える津波

  

宏美さん:ものすごい揺れで、びっくりして、自宅に慌てて帰ってきたんですね。

  

そしたら、1時間後には津波が来たんですけど。

  

大場さんの自宅は、港から2キロ離れていて海は全く見えません。「まさか多賀城に津波は来ないだろう」多くの人がそう思っていました。

  

宏美さん:「津波なんだってよ」って、どこからか誰か言ったの。

  

そしたら本当にサーサーサーと音がして、これ(水)どこから来てんだろうなと思ってね。

  

そうしたら、それ(水)がどんどんどんどん高くなってきたの。

  

ここのコンクリートの側溝がバーンって飛び上がって、真っ黒い壁がバーッと来た感じ。

  

それで気づいたらもうここ(胸)まで水が来てた感じで。

  

<当時の電柱。2メートル超の津波が自宅まで押し寄せる>

  

自宅から、息子さんと、近所に住む壮年と婦人の4人で一緒に避難しようとした時、2メートルを超える津波が押し寄せます。少しでも高い位置へと、とっさに縁側台の上に立ち、物干し竿につかまったまま身動きが取れなくなりました。

  

2011年3月撮影<平屋だった自宅。実際の縁側(本人提供)>

  

宏美さん:水の流れが激しくてもうどうにも動けなくて。

  

まあ汚い真っ黒い水でね。

  

車は無人で流れていくし、自動販売機は流れていくし。

  

だんだん感覚がなくなってきて、立ってるのもやっとになって、よく立ってたなと思うけどね。

  

2011年3月撮影<自宅周辺に折り重なる車。一番手前が大場さん一家の所有車(本人提供)>

  

腕の中で逝いた命

  

激流の中、互いに身体を支え合いながら耐えしのいだ4人。日が暮れて雪が降り始め、氷点下の寒さが襲います。

  

宏美さん3時間ぐらいたった時に壮年部の方が震え出して、「寒い」って言い出して。

  

「大丈夫だよ」って言ったんだけど、もう抑えてる私たちの手に抑えきれないくらい、水の中にズズズッて入っていっちゃったんですね。

  

見たら息してなくて、壮年部の方を息子と私で抑えて、どうしたらいいんだろうなと思って、何とかしたいと思ってね。

  

ほっぺをビビビビッて叩いて、「どうした!どうした!」って言ったんだけど、目をむいたまま、なんともなくて、もうどうしようもなくて。

  

こうやってずっと見よう見まねで心臓マッサージしたんだけど。

  

もう何ともなくて何時間ぐらいやったかな。

  

このまま自分も死ぬのかなって、その時思って。

  

20キロ以上離れた仕事先からようやく戻ってこられた忠義さんが、暗闇の中で4人を発見しました。

  

忠義さん:もう駄目だったんだけども、目、半目でね、開いてたんだけども。

  

宏美さん:その時73歳だったかな。その壮年の人。

  

忠義さん:思い出してね。やっぱり涙が(出てきてしまう)。

  

宏美さん3時間頑張ったんだけど、心臓も悪かったからね。

  

この津波で、多賀城市の3分の1が浸水。188人が犠牲になりました。

  

  

失意の底から救われた「励ましの絆」

  

無事に助け出された宏美さん。その腕には、息絶えた壮年の重みがずっと残り続けていました。

  

宏美さん:私には隣にいた壮年の人を、息子もいたんだけど、助けられなかったっていうのが、どうしても残ってて。

  

「何とかできなかったの」って周りで言ってる声も聞こえてきたりして、すごいショックで。

  

「自分たちだけが生きてていいのか」――自問自答する大場さん。その思いを学会のある先輩にぶつけました。

  

宏美さん:「私こうやって普通に生きてていいんでしょうかね」って。

  

そうしたら、その人が、「何言ってんの、(あなたと息子さんに)抱えられてね、逝ったんだから大丈夫だよ」って言われて。

  

ここ(胸)の氷がヒューって溶けるような、ほんとにもう安心したって言うか。

  

「人のぬくもりの中で逝けたのだから」その言葉に救われました。長い避難所生活の中で、心の支えとなったのも、学会員からの度重なる励ましでした。

  

<避難所で同志とともに語り合う大場さん一家>

  

宏美さん:毎日のように激励に来てくれて、落ち込む間もなく。

  

心配して、自分も大変なのに色んな人が来てくれたよね。

  

忠義さん:そうだね。

  

途切れることなかったもんね。

  

宏美さん:九州の人が来てくれたのが一番びっくりしましたね。

  

あんな遠くからね、うれしかったね。

  

決して壊れなかった“心の財”

  

そして聖教新聞に掲載された池田先生のメッセージに、大場さんは目が釘付けになりました。

  

「心の財」だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。(中略)生命は永遠であり、生死を超えて題目で結ばれています。
<聖教新聞2011年3月16日付より抜粋>

  

宏美さん:とにかく何がなくても「心の財」は崩れないっていうのを何回もかみ締めて、全部なくなっても大丈夫なんだってすごく思えたし。

  

生きてていいんだなって、だから亡くなった人のためにも元気にいようって思いましたね。

  

忠義さん:やっぱり、負けてられないって(思った)。

  

  

大場さん夫妻に、立ち上がる勇気と希望を与えてくれたのは、「励ましの絆」でした。

  

壊れなかった「励ましの絆」を広げていく

  

この「絆」を広げていきたい――。二人は、避難所にいるメンバーのもとへ聖教新聞の配達を始めました。

  

宏美さん:配達したかったんですよ。

  

いる人、いらない人関係なく全部、「読んで読んでー」って、聖教新聞の配達をさせてもらって。

  

  

芳野さん:配達してる姿はもう、何て人なんだろうってね。

  

大変な時があったけれども、そういうの全然見せないで、それでもみんなのことを心配する。

  

かえって声かけてもらって、本当すごいお二人です。

  

一人一人に寄り添い、真心で接していく大場さん夫妻。

  

宏美さん:地区の中はほとんど水に入っちゃったので、一人でも無事な人見つかると嬉しくてね。

  

激励されてこっちも激励してって、お互いに励まし合って元気になって帰ってくるっていう感じが多かったですね。

  

避難所の周りの人もみんないい人で、それで避難所を出てからも、すごいお友達になりました。

 

  

佐藤さん:前から人の世話は、好きっちゅうのかね。

  

そういう温かみがあって、二人ともご夫婦でそういうような感じなんですよね。

  

  

佐々木さん:一人の人に対して、本当に細かい思いやりのある心をもって、接してくださってるなって。

  

本当に私たちが勇気や元気を頂いています。

  

すべてを失ったと思ったあの日から12年。皆の笑顔の中心には、いつも大場さん夫妻がいます。

  

宏美さん:会合に普通に出れるってことが、どんだけうれしいことかっていうのが身に染みて分かったんですね。

  

だから、せめて会合に来たらみんなで笑って、笑顔で帰ってほしいなっていうのがずっとあって。

  

何か面白いコーナーを担当したり、全員が主役って(思いで)やらせて頂いてます。

   

  

尾上さん:座談会の企画なんかすごいから彼女はね、父ちゃんも本当は明るい人なんだね。

  

ほんと優しい人たち、ご夫婦。

  

忠義さん:本当に感謝でいっぱいですよ。

  

今まで皆さんからもらった分、報恩感謝でないけども、していきたいなって。

   

宏美さん:学会には自分の損得よりもね、人のことを考えてくれる人がいっぱいいる。

  

それもかっこつけて付き合うんじゃなくて、そのまんまで付き合えるみんななので、だから、いいなって今特に思ってます。

  

(みんなが)元気にね、活動できるように家庭訪問していきたいなと思うし、一日一日を大事に、頑張っていきたいなと思います。

  

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。