顧明遠(こめいえん)会長と池田大作先生の対談集『平和の架け橋-人間教育を語る』

公開日:

中国教育学会の顧明遠(こめいえん)会長(現在は名誉会長)と池田大作先生との対談集『平和の架け橋-人間教育を語る』を紹介します。

顧明遠会長と池田大作先生の対談集『平和の架け橋--人間教育を語る』(東洋哲学研究所)
『平和の架け橋-人間教育を語る』(東洋哲学研究所)

  

本書は日中国交正常化40周年を記念して2012年に発刊されたものです。

顧明遠博士は北京師範大学を卒業後、同大学の教授、副学長などを歴任し、対談当時は中国教育学会会長の立場にあるなど、中国の教育界を支えてきた一人です。

比較教育学や中国の文豪・魯迅の教育思想研究でも著名な博士は池田先生と同年代にあたり、戦争の時代に青年期を送るなどの共通点があります。

中国は「文化大恩の国」である

顧博士は池田先生が逆風激しい時代に日中両国の国交正常化を訴え、一貫して友好に尽くす姿に信頼を寄せてこられました。

博士は、まえがきで「日中友好は隋、唐代以前から今日に至るまで、すでに千五、六百年の歴史をもっています」「苦痛の歴史を忘れてはなりませんが、それ以上に、悠久の友好の歴史を忘れてはなりません」と綴っています。

池田先生は日本人の立場から中国を「文化大恩の国」と言われていますが、顧博士は「その逆もまたある」と応じ、20世紀初頭に多くの中国人の留学生が日本で学び、孫文が指導した民主革命を支えたのも当時の多くの日本人であったことなどを紹介しています。

「愛情」なくして「教育」はない

本書は、顧博士が江蘇(こうそ)省の母子家庭で育ち、北京の大学で学んだ生い立ちなどから始まります。日本軍の侵略戦争の影響で小学校時代はまともに勉学に取り組めず、小学校を6回も転校せざるを得なかったことも紹介されています。

ソ連留学から帰国し、母校の北京師範大学で勤務を始めた博士はその後、同大学付属中学校の学校現場で経験を積むことになります。現場の実践で身に付けたのが、「愛情なくして教育なし」「興味なくして学問なし」という教育理念でした。それに対して池田先生も「偉大な教育者の真実の人格、大誠実の人格に感動した」と強い共感を示しています。

1966年から起きた文化大革命では、顧博士はそれまでかわいがっていた学生から「資本主義の実権派」と逆に批判され、苦難の日々を送ります。しかし、当時はそうせざるを得なかったのだと、その学生を責めたことは一度もないと語っています。

教育とは「平和の種子」を蒔くこと

中国を代表する教育者である顧博士は、教育の本質を「平和を希求する人を育てること」「教育は平和の種子を蒔くこと」であると語り、池田先生も「教育の勝利が未来の勝利です」と語っています。

顧博士の妻は魯迅の姪にあたります。そのため、若き日の魯迅が留学生として学んだ東京の弘文学院で、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生が地理学を講義したことなども紹介されています。牧口先生が著した『人生地理学』は、その後、中国で翻訳書が出版されています。

池田先生と顧博士の願いは、日中友好を基盤に東アジアを平和の模範地域にすることであり、それこそが盤石な世界平和への道という考えに基づいています。

平和と友好を願う心が響き合うこの対談集は、日中の未来を担い立つ青年たちへの貴重なメッセージです。

  

【対談者紹介】 顧明遠(こめいえん)

中国教育学会会長、北京師範大学教育管理学院名誉院長。1929年、江蘇省江陰に生まれる。北京師範大学に学んだのち、モスクワの国立レーニン師範大学教育学部を卒業。

北京師範大学第二附属中学校校長、北京師範大学教授、同大学外国教育研究所所長、同大学副学長、中国教育国際交流協会副会長、世界比較教育学会共同会長。

『比較教育研究』誌主幹、『教育:伝統と変革』『国際教育新理念』など著作は多く、邦訳『魯迅-その教育思想と実践』(同時代社)『中国教育の文化的基盤』(東信堂)もある。

  

対談集の購入はこちら