バラティ・ムカジー博士と池田大作先生の対談集『新たな地球文明の詩を-タゴールと世界市民を語る』

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詩人タゴールに造詣の深いバラティ・ムカジー博士と池田大作先生との対談集『新たな地球文明の詩を-タゴールと世界市民を語る』を紹介します。

タゴール(1861-1941)はインドの詩人で、アジアで初めてのノーベル賞受賞者です。

バラティ・ムカジー博士と池田大作先生の対談集『新たな地球文明の詩を-タゴールと世界市民を語る』(第三文明社)
『新たな地球文明の詩を-タゴールと世界市民を語る』(第三文明社)

  

ムカジー博士は古代インドの政治哲学などが専門の女性研究者です。

カルカッタ大学で博士号を取得し、同大学の教授を経て、タゴール生誕100周年を記念して設立されたラビンドラ・バラティ大学の副総長などを歴任しました。

この大学は1962年に開学し、キャンパス内にタゴールの生家が現存する「タゴールの精神を継ぐ大学」の一つとして知られています。

民衆を鼓舞する詩歌を生み出すタゴール

池田先生とムカジー博士との出会いは2004年2月。東京で行われた初の会見で、詩聖タゴールの思想や行動をはじめ、ムカジー博士の専門分野である古代インドの政治哲学や、さらには女性の力を生かす社会のあり方などが語り合われました。

インドを象徴する文豪であり桂冠詩人でもあったタゴールは、牧口初代会長と同世代です。上流階級の15人兄弟の14番目として生まれましたが、幼年期は目立たない子どもにすぎなかったそうです。

13歳で母親を亡くし、5番目の兄の妻(義理の姉)を敬愛して育ちました。詩人としての才能を開花させてくれたのは、その博識な義姉でしたが、この姉が自ら命を絶ちます。

幼い頃から人間の「死」と切実に向き合ってきたタゴール。この別れが、タゴールの詩才をさらに開花させたとも言われています。

インド独立の精神的支柱として、民衆を鼓舞する詩歌を生涯にわたって生み出してきたタゴール。彼の思想と行動は、インド独立の父・ガンジーにも影響を与え、偉大な科学者・アインシュタイン博士とも直接交流をもっていました。

また、現在のインドとバングラデシュ両国の国歌の原詩・原曲はいずれもタゴール作です。

交通の発達していない時代ながら、生涯に12度の海外渡航を行うなど、世界中を歴訪。中でも日本には5回も訪れ、55歳のときは3カ月滞在したこともあります。

日本人の美的感覚に愛情を抱いていたタゴールですが、日本が太平洋戦争に参戦したときには、激しく糾弾しました。

大学の役割は「平和を志向するための中心機関」であること

タゴールは詩人としてだけでなく、教育者としても大きな足跡を残しました。

タゴールの精神を継承する学術機関としては、ムカジー博士が副学長を務めた「ラビンドラ・バラティ大学」とともに、豊かな自然の中で“人間”を育む教育を目的としてタゴールが設立した「インド国立ヴィシュヴァ・バラティ大学」(通称・タゴール国際大学)があります。

タゴールは大学の果たすべき役割として、平和を志向するための重要な「中心」機関と位置づけ、「異なる民族が互いに知り合う機会を設ける」ための機関とも捉えていました。

ムカジー博士は、タゴールが真の意味での世界市民であったことを強調し、池田先生も、「世界市民を育成する教育が、今日ほど求められている時はない」と応じています。

タゴールは41歳のとき、最愛の夫人と次女を相次いで亡くしました。

しかし、内面の悲しみを表面にあらわすことありませんでした。個人的な苦悩を生命の尊厳と尊重へと転換し、さらなる創作活動に取り組んでいきます。

対談集の後半部分では、ムカジー博士の専門分野である古代インドのアショカ王なども話題にのぼります。

仏教発祥の地・インドの深い精神性から生じたスケールの大きな「世界市民」を題材にした対談集です。

  

【対談者紹介】 バラティ・ムカジー(Bharati Mukherjee)

1942年~2013年。インド・現コルカタ生まれ。

西ベンガル州立ラビンドラ・バラティ大学元副総長。西ベンガル州企画委員会元メンバー。アジア協会永久会員、インド政治学学会永久会員、西ベンガル州政治学学会永久会員、政治経済学ジャーナル永久会員などを歴任。専門は、インド政治、女性問題、古代インドの政治哲学。

著書に『外交におけるカウティリアの概念:新解釈』『インドにおける政治文化とリーダーシップ』『インド的視座における地域主義』『古代インド政治思想』がある。

  

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