サイフェルト博士と池田大作先生の対談集『生命の光 母の歌』

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オーストリア政府の元文部次官でソプラノ歌手のサイフェルト博士と池田大作先生の対談集『生命の光 母の歌』を紹介します。

サイフェルト博士と池田大作先生の対談集『生命の光――母の歌』(聖教新聞社)
『生命の光 母の歌』(聖教新聞社)

  

二人の最初の出会いは1989年7月。その数ヵ月前、欧州SGI(創価学会インタナショナル)メンバーと知り合ったサイフェルト博士は、池田先生のドイツ語の書籍をプレゼントされ、すぐに読破しました。

ウィーン大学で哲学博士号を取得した経歴をもつ博士は、これまで抱いてきた人生の疑問への回答が明快に記されて、自身の考え方と驚くほど近い人がいることに感銘を受け、「この哲学者にどうしても会いたい」と思ったそうです。

東京で行われた初会見は、当初は20分ほどの懇談で終了するはずが2時間にも及びました。以来、日本とオーストリアで9度にわたる出会いが重ねられています。

サイフェルト博士が音楽の道を志すまで

本書のテーマは、音楽の重要性、教育の役割、青年への期待、老人介護、女性の活躍、平和と戦争、生と死など多岐にわたります。

サイフェルト博士は学生時代、現実の社会のために貢献したいとの思いが強くなり、連邦保健省に入省。その後、学術研究省に異動し、まだ男性中心の色合いの強かった時代に、文部省管轄の国際部で、全省庁の中で最年少の部長就任を果たします。

池田先生と出会ったときは、オーストリア政府の海外担当の文部次官を務めていました。

博士の両親はいずれも全盲であり、博士2、3歳のころから両親の手を引き、道路に出れば両親の「目」となってきました。

クラシックの音楽家で声楽の教授でもあった父親が多くの弟子を抱えていたことから、博士自身、幼少のころから音楽ルームで自然に歌うようになり、3歳のときにはブラームスの歌曲を歌っていました。

博士の両親は生活の安定面から娘が音楽の道に進むことに反対しますが、父親が他界したことをきっかけに、「私自身の音楽を始めるべき時がきた」と、声楽家の道を掛け持ちするようになります。

国境を越えた「音楽」を通じての文化交流

本書では創価学会が常に歌とともに前進してきたこと、反対する先輩もいるなか、池田先生が自ら個人的に楽器を贈り、音楽隊・鼓笛隊をスタートさせたこと、その音楽隊・鼓笛隊がいまや世界30カ国に広がったことなども紹介されています。

サイフェルト博士は「SGIは私の精神の故郷」とまで語っています。

池田先生が原詩を書いた『母』の歌は、今やソプラノ歌手としての博士の十八番となり、海外でもお気に入りのアンコール曲としてしばしば歌ってきたそうで、歌い終えると会場は常に満場の喝采に包まれるそうです。

クラシック音楽を聴いて育った子どもは、「より穏やかで情緒豊かな子」に育つとの博士のアドバイスもあります。

両国の友好を大きく推進してきた博士と池田先生が、文化の力、青年にかける思い等、幅広く語り合われた対談集です。

  

【対談者紹介】 ユッタ・ウンカルト=サイフェルト(Jutta Unkart-Seifert)

ウィーン大学で哲学博士号を取得。オーストリア政府の元文部次官。声楽家(ソプラノ歌手)。ヨーロッパ青年文化協会の会長として、青少年教育に尽力。

これまで池田先生が創立した民音の招聘で5回来日し、コンサートを行うなど、両国の友好を大きく推進してきた。ウィーン在住。

  

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