沖縄戦70年 平和を語り継ぐ〈1〉 「破片の傷は額にいまも」

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創価学会沖縄青年部では、戦争の記憶を風化させないため、戦争体験者からの聞き取りを取り組んできました。

本記事は、戦争体験と、聞き取りを行ったメンバーの感想を紹介します。

証言:渡久山スミ子さん(75)


沖縄戦当時、私は5歳で、那覇市久米に、家族5人で住んでいました。
砲弾が雨あられのように落ちてくる中、私たち家族は、糸満方面へ避難しました。

糸満のある建物に避難していた時のことです。そこには、大勢の人たちが避難し、子どもがたくさんいました。

そこに突然、爆弾が落ちてきたのです。煙が立ちこめる中、母は1歳になったばかりの妹をおぶったまま「うりんあらん!くりんあらん!」と、大勢の子どもの中から私を探し出し、外に飛び出しました。

その直後、振り返って見ると建物は真っ赤な炎に包まれ、大勢の子どもたちが亡くなりました。私たちは間一髪で助かったのです。

その時の爆発で、破片が私の額に突き刺さり負傷しました。あまりの痛さと、ショックで大声で泣き叫びながら、逃げました。額の傷痕は今でも残っています。

その後、ある農家に避難していた時、日本兵が父に銃口を突き付けて、「米軍がどこまで来ているのか見て来い」と命令しました。

父が出て行った直後、付近で、米軍の砲弾が爆発した音が響きました。母が驚いて外に飛び出すと、父はうつぶせで倒れていました。即死の状態でした。

母は父の遺体を埋め、ハイビスカスの木の枝を目印に、と土に差し込み、悲しみに暮れる間もなく、私たちを連れて避難を続けました。しばらくして、私たちは米軍の捕虜になり、助かりました。私は父を失い、悲しさと悔しさと無念さでいっぱいでした。

戦後は、母に守られ生きていくことができました。若い人たちには、あの残酷な戦争を絶対に経験させたくありません。
そのためにも、後継の青年部、未来部が平和のために活躍していくことを祈り、これからも語り抜いていきます。

演劇通して平和伝える

  

女子高等部員 富田さん

大切なお父さんを亡くした気持ちや、残された子どもたちを育てていったお母さんの苦労は計り知れないものがあると思います。

私が通っている学校では、授業の一環として、毎年、演劇を通して沖縄戦の悲惨さを伝える取り組みを行っています。きょう、学んだ体験を多くの人たちに伝えていきたいです。

体験学ぶことは大切

  

女子高等部員 玉城さん

映像や写真資料で戦争を学ぶ機会はたくさんありますが、体験者の話を直接聴く機会はめったにないので、貴重な話を聴けて良かったです。私よりも幼い5歳の時の戦争体験に、大変な恐怖と驚きを感じました。

きょうの話を忘れずに、友達や多くの人たちに平和を伝えていきたいです。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。