【被爆証言】逃れられない原爆の恐怖(長崎)

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1945年8月9日。長崎市の市街地で原子爆弾がさく裂。
当時6歳だった中尾安子(なかお・やすこ)さん(84歳)は、爆心地から1.8キロメートル離れた自宅前で被爆しました。

破壊しつくされた街で、なんとか生きのびた中尾さん。
しかし、被爆者となったことで、差別や偏見に苦しめられることになります。

後に続く世代に同じ苦しみを絶対に味わわせてはならないと、中尾さんは核兵器廃絶を訴え続けています。

※本記事は、2023年8月22日の「被爆証言」「インタビュー」を記事にしたものです。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。