2025.08.08
感謝の祈りが宿命を変えていく「変えられぬ宿命など断じてない」ーー脳の難病「ADEM」からの生還
公開日:
北海道・十勝に住む大野香代子さん。2010年、次女の莉奈さんが10万人に数人という脳の病、「急性散在性脳脊髄炎(ADEM)」で倒れてしまいます。
絶望の中、大野さん一家を支えたのは、「変えられぬ宿命など断じてない」との師の励ましでした。
“必ず師に勝利の報告を”と書き続けた闘病日記。そこには、大野さん一家の、変毒為薬の歓喜の劇がつづられています。
※以下は動画の内容を、時制や語り口は収録当時のまま、掲載しています。
北海道・十勝に根差す大野さん一家
自然のパノラマが、どこまでも広がる北海道・十勝。ここは、じゃがいも、トウモロコシ、小麦などの有数な産地。最近では、生キャラメル、豚丼でも有名になりました。
帯広市の南、中札内村にある大野農場。じゃがいも、枝豆、小麦など、約10種類にわたる作物を育てています。
大野香代子さん。白ゆり長として、地域を駆けまわる毎日です。
夫の孝幸さんはブロック長。堅実な仕事ぶりで、地域からも厚い信頼を得ています。
実りの陰には、大きな"宿命"を"使命"へと変革した、大野さん一家のドラマがありました。
信心強盛な母のもと、広島に生まれ育った香代子さん。1997年に、縁あって中札内村の農家に嫁ぎました。その後、3人の子供に恵まれます。
突然、次女を襲った難病「急性散在性脳脊髄炎(ADEM)」意識を失う
大野家を宿命の嵐が襲ったのは、2010年4月のことでした。その日は、長女の優奈ちゃんと、次女の莉奈ちゃんの始業式。そして、長男の和孝くんが、小学校の入学式を迎えた日でもありました。この晴れの日に、9歳になる次女の莉奈ちゃんが、突然倒れたのです。
香代子さん:急遽5時過ぎですかね。その時にはもうだいぶ歩けなくなっていたので、主人がおぶって、車に乗せて、小児科に連れてったんですが、先生がすぐ診て、「検査入院です」と。
診断の結果は、急性散在性脳脊髄炎。通称アデム(ADEM)。この病気は、意識障害、脳神経麻痺を伴う、10万人あたり2、3人しかかからないという、脳の病でした。
医師はこう告げました。「この病気には、ステロイドの投与が効果があります」と。
香代子さん:「(ステロイドを)やれば8割方は意識が戻りますし、普通になると思います」(と医師から言われて)。「効く薬があるんだ」とほっとするんですね。
2010年4月10日、ステロイド投与開始。しかし、家族の期待も空しく、莉奈ちゃんの病状は次第に悪化していきました。
莉奈ちゃんのことを伝える香代子さんに、広島に住む母が電話で言いました。
「この子は“大女優”」。「大病を演じてあなたたちに大切なことを教えているのよ」。「その使命を果たしたら莉奈は演技をやめてきっと元気になるから」。
必死の祈り 病魔に飲み込まれてなるものかーー。
演じているはずの莉奈ちゃんの病状は更に悪化。半開きの目は乾き、顔から表情が消えていきました。
香代子さんは、ひたすらに、お題目をあげました。
香代子さん:とにかくですね、病魔に飲み込まれてなるものかと。 一瞬の隙があれば、飲み込まれてしまう。
未入会の夫・孝幸さんもいつの間にか御本尊の前に座っていました。
孝幸さん:病院から付き添って帰ってきて、そうすると、何もすがるものがないんですよね。本当に苦しくて苦しくて、眠れなくて。 題目あげていったら、不思議と眠たくなってきたんですよね。心が落ち着くというか。 勇気がわいてくるというか。
そんな折、師匠池田先生から激励のノートが届きました。
1ページ目には獅子の押印。大野さんは、師匠からいただいたこのノートに、闘病日記を記すことを決意しました。そして、必ず勝利の報告をする、と。
師に報告する闘病日記
日記4月17日
入院より9日目。「悪い状況です。病状が進行している。
今晩、命、保証できません。病院で待機していてください」。
香代子さん:「命の保証はない」と言われた瞬間に、ちょっと頭が真っ白になって倒れかけたんですね。その時は、主人が私の腕をぐっと持って、支えてくれて。
日記4月18日
昨晩、病院の駐車場の車の中で一晩過ごす。丁度ICUの部屋が見え、ずっと孝さんは手を合わせお題目を送る。次の日も車の中で祈る。「誰が見ていても関係ない」と孝さん。
莉奈ちゃんは、なんとか一命をとりとめたものの、一切、予断を許さない状況でした。
日記4月19日
孝さん「いよいよこれからだな」。お題目をあげた孝さんはみるみる変わる。仕事中も常にお題目。
しかしーー。さらに深い絶望の闇が、大野さんの心を覆っていきました。
日記4月27日
「昨日、脊髄のMRIとったが、脊髄にも2ヶ所炎症が出た」とのこと。
「意識レベル低」とのこと。
香代子さん:「なんで」という言葉が出ちゃったんです。初めて、「なんで」。そして、泣いてしまったんです。
そしたら莉奈の目からツーっと涙が出てきたんです。
全く言葉もしゃべれない、意識もないんですけども、涙がこぼれた時に、「莉奈が一番頑張っているのにごめんね」って。
兄からの連絡ーー“感謝の題目をあげろ”
ちょうどこの時、広島の兄から連絡がありました。
香代子さん:「宿業なんか出なきゃいいと思ってるだろ」と(兄から)言われたんですね。「出なきゃいい」、「出なくていい」、「本当に苦しい」って(私が言うと兄は)、「宿業を出させてもらってありがとうございますって。感謝の題目をあげろ」。
日記5月1日
それから御本尊に感謝の題目をあげる。なかなか湧いてこない。湧いてこなくてもあげる。元気になる。この時から命が大きく変わっていく。
夫婦で、ひたすらに祈り続ける中、ふと大白蓮華の巻頭言に目がとまりました。「『変毒為薬』の歓喜の劇を!」と題したこの巻頭言。それはまさに自分たちに呼びかけてくれているかのような言葉でした。
「変えられぬ宿命など断じてない」 “治るんだ”と確信に変わる
「変えられぬ宿命など断じてない。ゆえに、決して嘆かずともよい、そして絶対に諦めなくともよい希望の光が、ここにあるのだ」
持っている部分が破けるほど、繰り返し、繰り返し、夫婦で読み返したといいます。
孝幸さん:絶対にこの毒を、毒を必ず薬に変えてやると。
香代子さん:「百発百中の変毒為薬の大法だ」
今まで不安とか一喜一憂していた生命が、“治るんだ”と確信に変わってくるんですね。
夫婦の必死の祈りの中、5回目のステロイド投与。ついに、莉奈ちゃんに薬の効果が現われました。
日記5月12日
莉奈、目を閉じている。部屋を出ようとしたら左足でバイバイ。横にふる。みんなで笑う。「バイバイしてる」。
日記6月18日
先生、左手おして「痛い?」(莉奈が)首横にふる。言ったことが分かるようになる。
5ヶ月の間、無表情で、言葉も出せなかった莉奈ちゃんに奇跡の瞬間が訪れます。
香代子さん:「なんか言って莉奈」
莉奈ちゃん:「おおのりなです、大野莉奈です」
莉奈ちゃんがしゃべり、家族みんなが笑ったこの日は、大野家の「笑顔記念日」となりました。
必死のリハビリの中、医師も驚く奇跡の回復を遂げていきます。
リハビリ3ヶ月後には、一人で歩けるように。
そして、入院から8ヶ月後の、11月26日、歩いて退院しました。
退院から7ヶ月。4年生の時にはでられなかった、5年生の運動会に莉奈ちゃんは出場しました。大きな声援の中、必死に前へ前へと進んで行く、莉奈ちゃん。
どんなに抜かされても、人生という勝敗においては一等賞でした。
宿命転換のドラマ 闘病日記を締めくくる未来へ繋ぐ感謝の思い
現在の莉奈ちゃんです。16歳になりました。多少の脳の障害は残るものの、高等養護学校の1年生として元気に生活しています。将来の夢は看護師になること。
莉奈ちゃん:お父さんとお母さんは、仕事頑張ってくれているので、ありがたいと思ってます。お母さんのお腹から生まれてこれたのも、奇跡としか言えません。
いつも両親にありがとうの気持ちを忘れない、心優しい女性です。
莉奈ちゃんが退院した翌年の、莉奈ちゃんの誕生日。孝幸さんは、自らすすんで、創価学会に入会しました。
長女の優奈さんは、今、親元を離れて創価高校で勉学に励んでいます。
優奈さん:妹が病気になった当時は、なんで妹なんだろうと思って、できることなら私が代わってあげたいと思ったことは何度もあって。
今考えると、妹にしかできなかったんだなと。
本当に病気になる前は、すごい強い子で。私が病気になってたら、負けてたなと。
病気があったからこそ、私たち大野家が団結して、前以上に仲良くなれたと思います。
中学生になった長男の和孝くん。小学校の入学式の日から、母が不在がち。寂しい思いもしました。
和孝くん:昔はすごく、莉奈の気持ちがわからなくて。今になって、お母さんもお父さんも、耐えてきてたんだな。莉奈が病気になったおかげで、僕も、少し強くなれた。家族のみんなには、感謝です。
莉奈ちゃんという、大女優が身を持って演じたもの。それは、大野さん一家の宿命転換という、偉大なるドラマでした。
闘病日記は、香代子さんの感謝の気持ちで締めくくられています。
日記の最後
莉奈のお陰で、たくさんたくさんたくさん、色んな事を教えてもらった。
本当に莉奈ありがとう!
いつか読む莉奈へ。
「変えられぬ宿命など断じてない」
何度も心に刻んだ池田先生の言葉。
絶望を乗り越えた大野家にとって、今、この言葉は確信となってその胸に輝いています。