未来からの使者たちへ 池田大作 輝く童話の世界

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少年雑誌の編集長として、子どもに夢を贈る仕事に打ち込んだ若き日の池田大作先生。
これまでに発表した数々の児童文学作品をはじめ、若き編集者時代の知られざる逸話や、イギリスの著名な絵本画家ワイルドスミス氏のインタビューを収録する。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

少年時代の体験に着想を得た『さくらの木』

「何をしているの?おじいさん」
「木に服を着せているのさ。この年寄りの木は、あの戦争があってから、花が咲かないほど弱ってしまったんだ」
「もう死んでるみたいだよ」
「いや、まだ死んではおらん。我慢強く世話をしてやれば、いつかきっと花が咲くさ」

(『さくらの木』より)


児童文学『さくらの木』。

空襲で焼け野原になったある街を舞台に、主人公の”たいち”と”ゆみこ”が、”桜を守るおじいさん”との出会いを通して、諦めない心を学ぶ物語です。

作者である創価学会の池田名誉会長は、自身の少年時代のある体験に着想を得て、この作品をつづりました。

それは、桜の花びらが舞い始めた、昭和20年、春。

名誉会長の住む東京南部は、大空襲に見舞われました。
多くの人たちが焼け出され、辺り一面は、見るも無惨な廃墟になってしまいました。

未来を憂いていた17歳の池田青年の目に、思いがけない光景が飛び込んできました。
灰色の風景の中で、何本かの桜が、美しく咲き薫っていたのです。

その印象的な光景は、池田青年の胸に深く刻まれ、後にその思いは、児童文学『さくらの木』として、よみがえったのです。

  

「お母さん。今日、僕たちね、おじいさんに会ったの。その人、焼けたさくらの木に、わらを巻いてたよ。この冬さえ乗り切れば、花が咲くだろうって」
「それはいいこと。おじいさんのお手伝いをしてあげたらどうかしら」
「賛成!」

(『さくらの木』より)

「少年少女の心の退廃」は「人類の衰退」に通じる


21歳になった池田青年は、恩師戸田先生の経営する日本正学館に入社。
少年向け雑誌『冒険少年』の編集を任されました。

幼い頃から本が大好きだった池田青年は、雑誌作りに情熱を傾けます。
病弱だった体をなげうつようにして、ひたむきに仕事に取り組みました。

やがて編集長となった池田青年は、死に物狂いで仕事に取り組みます。
編集長自ら「山本伸一郎」の名でペンを執り、教育者・ペスタロッチの伝記を書き下ろしたこともありました。

やがて、戦後の経済の混乱の中、戸田会長の事業も窮地に追い込まれてしまいました。
戸田会長は、断腸の思いで出版事業を断念。

しかし、池田青年の文学と子どもたちへの熱き思いは、やがて、児童文学の執筆という形で、再び花開くこととなるのです。

  

ある日の朝、さくらの木を見上げていると、突然、ゆみこが叫びました。
「見て!咲いてる!」ピンクの花が一つ、太陽に向かって輝いていたのです。
「この子たちが、冬中頑張ったんでのう。それでか枯れずに済んだんじゃよ。決してあきらめちゃならん」と、おじいさんが言いました。

(『さくらの木』より)


小説や随筆、詩歌など、数多くの著作をもつ名誉会長は、1974年、自身初となる「創作童話」を発表。
以来、20作品を超える児童文学を書きつづってきました。

名誉会長は、こうつづっています。

少年少女の心の退廃は、人類の衰退に通じよう。
ゆえに私は、子どもたちの心の大地を耕し、種(たね)を蒔(ま)こうと思った。
正義の種、勇気の種、希望の種、努力の種、そして、優しさの種を。
その挑戦の一つが、童話の執筆であった。

子どもたちが心の奥底で求めている「幸福」

数多くの名誉会長の児童文学の中で、ひときわ輝きを放つ4作品。
(『さくらの木』『お月さまと王女』『青い海と少年』『雪ぐにの王子さま』)
挿絵を担当したのは、ブライアン・ワイルドスミス氏。

絵本界最高峰のケイト・グリーナウェイ賞を受賞し、世界的に著名な氏は、おとぎ話『マザーグース』の挿絵家として日本でも人気が高く、その独創的な画法から「色彩の魔術師」とも評されています。

1988年、オックスフォード大学出版局から、ワイルドスミスさんにある提案がなされます。
それは「池田会長の本の挿絵を描かないか」というものでした。

  

僕は、人の物語の絵は描かないよ。自分の作品にしか描かない。


そんなワイルドスミスさんを変えたのは、名誉会長の作品そのものでした。

  

初めて名誉会長の童話を読んだとき「これは価値のある本だ」と思いました。
どの作品も、深い洞察があり、ユーモア、慈悲、希望が、見事に表現されています。


1988年11月、名誉会長とワイルドスミスさんの、初めての出会いがありました。

席上、名誉会長は質問を投げかけます。

  

「子どもたちが、心の奥底で一番求めているものは何でしょうか」

  

「それは『幸福』です!」


明快な答えが返ってきました。

両者の心と心が共鳴し合い、絵本の共同制作が始まったのです。

共同作業の第一歩が『雪ぐにの王子さま』。
旅先で事故に遭った父親の回復を一心に祈りながら、傷ついた一羽の白鳥の看病を続けるきょうだいを描いた、愛と勇気の物語。

その頃、ワイルドスミスさんから、名誉会長に一つの報告がありました。
それは、三女のアンナさんが、事故で重傷を負ってしまったことでした。

池田氏は、私たち夫婦が何か悩んでいることを、鋭く感じ取られました。
私は、三女のことをお話ししました。
池田氏は、彼女の写真を求められ、「私も妻も、またSGI(創価学会インタナショナル)メンバーも、彼女のために祈っていきます」と言われました。


氏は、この作品に自信を重ね合わせながら、心を奮い立たせ、想像力をかきたてていったのです。

  

「飛ぶんだ!」「行け!」
きょうだいの声に励まされ、夕空に羽ばたいていく白鳥。
金の光を浴びて、純白の翼を広げて。

(『雪ぐにの王子さま』より)

「人類の宝」である子どもたちのために

絶対に諦めない心で完成させた『雪ぐにの王子さま』。

1991年、無事に回復したアンナさんと共に、ワイルドスミスさんは名誉会長のもとへ訪れました。

名誉会長は語っています。

  

子どもこそ人類の宝。未来は子供たちにかかっている。
ゆえに私どもには、少年少女を健全に育成していく責務がある


こうした名誉会長の信念のもと、SGIでは「世界の少年少女絵画展」や「童話 輝く子どもの世界展」など、さまざまな展示会を行ってきました。

児童文学の執筆をはじめとする、名誉会長の青少年育成への一貫した行動には、世界から高い評価が寄せられています。

若き日、編集長時代の誓いは、輝く童話の世界となって、世界中の子どもたちの心に、勇気と希望を降り注いでいます。

  

  

池田大作先生の足跡