民衆を結ぶ文化の架け橋 東京富士美術館

公開日:


「世界を語る美術館」--1983年11月3日に開館した東京富士美術館。
古今東西にわたる芸術作品約3万点をコレクションしている。
これらの所蔵作品の中から、珠玉の名作の数々を映像で紹介し、東京富士美術館の歴史と理念を明らかにする。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

「世界を語るような美術館に」 

「世界を語る美術館」がモットーの東京富士美術館。
古今東西の芸術作品、およそ3万点がコレクションされている。
ロマン主義、写実主義、そして印象派から20世紀美術まで、世界の巨匠たちの描いた名画の数々――

「オールドマスター」と呼ばれる、ルネサンスから18世紀までの画家の作品は特に充実している。そして、ロダンをはじめとする、彫刻作品のコレクションも際立っている。

「世界を語るような美術館になっていくんだ」

創立者である池田SGI会長は、オープン間もない頃、常々そう語っていたという。

1983年、東京富士美術館オープニングを飾った「近世フランス絵画展」
ルーブル美術館をはじめとする、フランスの8つの名門美術館から出品された作品群。

とりわけ、ドラクロワが描いた大作『ミソロンギの廃墟にたつギリシャ』は見るものを圧倒した。

文化交流で世界に友好の心を

開館以来、東京富士美術館は17カ国1地域から40回を超える展覧会を開催、海外の著名な美術館所蔵の名品を紹介してきた。さらに東京富士美術館は、所蔵の作品を世界に紹介する活動を、積極的に行ってきた。

これまでに、海外28都市で33回に及ぶ展覧会を開催している。

文化交流に懸ける思いを、池田SGI会長は次のように語っている。

  

私自身、芸術を愛する民衆の一人として、自らの国、異なる国々の一流の芸術に、もっともっと民衆が触れ、精神を豊かにしていく機会を広げたい。多くの人々が他国への友好の心を育んでいける時代をつくりたい――。そうした願いをもって、東京富士美術館や、民主音楽協会などを創立いたしました。

「芸術作品は見たい人のもの」

1992年、中国・北京で「西洋絵画名作展」を開催。
東京富士美術館所蔵の西洋名画の数々が、初めて中国に渡った。

  

東京富士美術館 館長 五木田聡 氏

中国に海外から、本物の名画がやってくるということは、ほとんどなかった時代でしたから、開催中の北京の安い旅館は、ほとんど満室なってしまった。ある人は5日間かけて、遠い地方からやってきたという人もいますし、ある美術学校の教授は学生を連れて列車で数十時間乗り継いでやってきた、という先生もいらっしゃいました。


「中国に高価な美術品を運び込むのは危険だ」

反対の声が多かった。
しかし、池田SGI会長はこう語った。

  

「芸術作品は、それを見たい人のものではないか」


この一言から実現に至った初の本格的な西洋絵画展は、中国にとって画期的な出来事となった。

アイヴァゾフスキー『第九の怒濤』

2003年には東京富士美術館で「第九の怒濤展」が開幕。
この展覧会には、ロシアを代表する名作、アイヴァゾフスキーが描いた『第九の怒濤』が特別公開されている。

所蔵美術館は、国立ロシア美術館。

ペトロバ副館長は、同美術館の宝である『第九の怒濤』の貸し出しを、快く了承した。

  

東京富士美術館 館長 五木田聡 氏

ペトロバ副館長は「若い頃、富士美術館にいったことがあります」と
「本当にすばらしい美術館。そして、建物、スタッフ、いい思い出を胸に刻んでいます」「その作品は非常に貸し出しが難しい、大きな作品で、美術館の宝物なんですけれども――貸し出す決断をしました」
というふうにおっしゃっていました。


東京富士美術館を訪れた池田SGI会長。

一枚の絵の前でピタリと足を止めた。

『第九の怒濤』

SGI会長は身じろぎもせず、17分もの間、その絵に見入っていたという。
そして、その時の感動を、長編詩につづった。

  

そこには やむにやまれぬ
人間の勇気の衝動があった。
乗り越えゆくのだ すべてを!
自身の前途の苦難を!

(「『第九の怒濤』を観て」より)


この長編詩は、ロシア語に翻訳され、ペトロバ副館長に届けられた。

「宝物にしております」
副館長はそう語った。

優れた美との対話――

それは、国や文化の違いを超えて人々の心を結び、人間精神の限りない飛翔と進化をもたらす――

  

芸術は
人間の支えだ。
人間が人間として
最高に発揮される
知情意の血脈である。
芸術は
人間性の究極の昇華だ。

(「天の舞 人生の舞 芸術の舞 天晴れ 地晴れ 人生も!」より)

  

  

池田大作先生の足跡