民衆を結ぶ文化の架け橋 民主音楽協会

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音楽に国境はない。1963年の創立以来、世界中の音楽、舞踏、舞台芸術などを日本に招へいしてきた民主音楽協会。
世界最高峰のオペラ「ミラノ・スカラ座」の初来日公演を実現したエピソードなど、これまでの民音の文化交流の歴史と実績を振り返る。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

世界100カ国・地域以上に広がるネットワーク

民主音楽協会「民音」。
音楽・舞踊・舞台芸術——世界のあらゆる文化活動を招へいする民音のネットワークは今、世界100カ国・地域以上に広がっている。

東京信濃町の民音文化センター。
その中に、音楽に関する博物館として、日本一を誇る「民音音楽博物館」がある。

2階にある古典ピアノ室。ここでは、古典ピアノの実演が行われている。

モーツァルトが使ったピアノと同型の「アントン・ワルター」。
現在演奏できるのは、世界で4台のみと言われる。
そして、ベートーヴェンが実際に使ったとされる「ヨハン・フリッツ」。
ショパンが所有していた最後のピアノと同型の「プレイエル・グランド・ピアノ」。

その他、およそ400年前の鍵盤楽器「ピサ・チェンバロ」など、すべてのピアノの音色を聴けるのは、民音音楽博物館ならでは。

オルゴール展示室では、19世紀から20世紀初頭、欧米で大衆音楽に影響を及ぼした歴史的オルゴールの音色や、自動人形などを楽しむことができる。

また、世界各国の民族楽器を常設している楽器展示室など、世界のさまざまな文化に触れることができる。

「一流の芸術を民衆の手に」ミラノ・スカラ座の招聘

民音文化センターを訪れた世界各国の芸術家や識者による貴重なメッセージが記されている「芳名録」。

最初のページには、創立者池田SGI会長と香峯子夫人の直筆のサイン。そして、指針が記されている。

  

祈 世界一の発展
祈 芸術運動の先駆
祈 人間文化の夜明け


民音が創立された1963年当時、クラシック音楽やオペラなどは、庶民の手の届く芸術ではなかった。

「一流の芸術を民衆の手に」
この創立者の信念のもと、世界最高峰のオペラ招へいに動き出す。

「ミラノ・スカラ座」――200年以上の伝統を誇る、オペラ界の頂点に君臨する芸術の殿堂。

しかし、スカラ座招へいへの道のりは決して平坦なものではなかった。

  

民主音楽協会 代表理事 小林啓泰氏(当時)

確かに当時、民音や創価学会にスカラ座が呼べるわけがないと、ほとんど断言的な世界の風評でございました。


池田SGI会長はこの時の思いを後にこうつづっている。

  

池田SGI会長

その世界の宝ともいうべきスカラ座の招へいは、本来ならば、国家などのレベルで進められるのが、ふさわしいかもしれない。
しかし、私には、音楽と芸術を愛する一人の「人間」として、また平和を願う一民間人として、文化交流の確かな道を開きたいとの思いがあった。


初交渉から実に16年。
ついにミラノ・スカラ座日本公演が決定した。

出演者、スタッフ総勢500名。
そしてトラック80台分もの舞台装置。

文字通りの引っ越し公演の壮挙であった。

世界屈指のテノール歌手、プラシド・ドミンゴが歌い、「来日すれば奇跡」とまでいわれたカルロス・クライバーがタクトを振る。

本物のスカラ座がそこにあった――。

「若手指揮者の登竜門」東京国際音楽コンクール指揮部門の開催

民音の歴史は、数々の名公演に彩られている。1966年から始まった、「世界バレエ・シリーズ」。
そして、クラシックコンサートの公演をはじめ、世界最高の音楽を、多くの人々に提供してきた。

さらに民音は、アフリカ・アジア・南米など、あまねく世界の5陸の国々との交流を深め、「民族音楽」、「民族舞踊」などを紹介してきた。

  

池田SGI会長

音楽には壁がない。国境を超え、言語や人種、民族の差異も超えて、心と心を結び、平和の調べを奏でる。 民音が文化交流を行ってきた理由も、この一点にある。


1967年に「民音コンクール」の名称で始まった、東京国際音楽コンクール指揮部門。
若手指揮者の登竜門ともいわれている。

現在、世界的に活躍する指揮者を多数輩出している。

民音の進めてきた文化交流――それは、悠久の昔に東西文化交流の架け橋となったシルクロードのように、さまざまな国の人々の心を結び、友情の絆を生み出している。

  

池田SGI会長

芸術は平和の武器です。芸術は人生の究極の勝利の舞です。芸術の汗は、平和と人類の繁栄の汗です。私は芸術家に、政治家よりも経済家よりも、さらに何倍も何十倍も敬意を表します。今日はありがとう。謝謝。

(1990年東方歌舞団特別公演 中国・北京 天橋劇場にて)

  

   

池田大作先生の足跡