桂冠詩人の軌跡 ~池田大作「詩」世界~

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池田先生は若き日から、多くの詩や和歌を詠んできた。生涯の詩作は600編に及び、実に14万5千行を超える。

1981年には世界で最も優れた詩人に贈られる「桂冠詩人」の称号を受けた。恩師との出会いや第3代会長就任など、先生の激闘の歩みに即して、折々の詩作を振り返る。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

「闘う詩人」「行動する詩人」

詩は生命の巧まざる演出者
そこには美があり安らぎがある
飛翔する力 創造の力がある
苦悩を突き抜けた歓喜がある
詩は人間性の精華
偉大なる人間世紀を切り開き
平和と文化の華薫る世界を
築きゆく源泉こそ
「詩」なのだ

(詩「悠久なれ!詩心の調べ」より)


少年の頃より、古今東西の文学や詩に親しんできた池田名誉会長。
自ら詩をつづるようになった青春時代から詠んできた詩は、およそ600編。実に14万5千行を超える。そのうちの実に7割が、70歳を超えてから書かれたものである。

世界詩歌協会 前会長 スリニバス博士は、名誉会長の詩をこう評している。

  

スリニバス博士

池田名誉会長には滔々と迸る天賦の詩才があります。作品に満ちあふれる偉大な創造性は考え得る限りの最高の域に達しています。
この天賦の才の爆発は、20世紀の詩聖タゴールを彷彿とさせます。

人生の道を求めた青春「森ヶ崎海岸」と「地湧」

敗戦後の日本。
それまでの価値観が一挙に崩れ去り混乱と低迷が続いていた。知識を求め、触発を求め、人生の道を求めた池田青年。友人と文学や哲学を学び合い、心の底から湧き上がる思いを折に触れて、詩や歌に託した。

  

岸辺に友と 森ヶ崎
磯の香高く 波かえし
十九の青春 道まよい
哲学語り 時はすぐ
君に幸あれ わが友よ
つぎに会う日は いつの日か
無言のうちの 離別旅(わかれたび)
銀波ゆれゆく 森ヶ崎

(「森ヶ崎海岸」より)


正しい人生とは――
真実の人生とは何か。
模索を続けていた池田青年は、小学校時代の友人に誘われ創価学会の座談会に参加する。
そこで、後に「私の人生の『運命の一日』となった」と語る、戸田城聖第2代会長との出会いを果たす。池田青年は、生涯の師匠に巡り合えた抑え難い感動を、即興詩としてうたい上げた。

  

旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか
月は 沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌(カオス)に
光 もとめて
われ進みゆく
心の暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より
湧き出でんとするか

(「地湧」より)

嵐の中の青春

1949年1月。
21歳になった池田青年は、戸田会長の経営する出版社に入社した。
やがて、戦後の混乱する経済のあおりを受け、事業は暗礁に乗り上げる。

社員が一人去り、二人去るなかで、池田青年はただ一人、命がけで師匠を守り抜いた。胸を病み、熱にさいなまれ、時に、血さえ吐きながら、いつ冬が来て春が訪れたのかもわからない、苦闘の日々は続いた。

  

嵐に耐えゆく 雄々しき若木
嵐に光る 幽美な樹木
砕かれても 砕かれても
なつかしき土の香り
骨髄まで 風雨に打たれても
悠遠の美を 忘れ得ぬ魂の躍動
嵐の中の青春よ
やがて来る 光り輝く
太陽を忘れず 前進することだ

(「嵐の中の青春」より)


翌年、戸田会長の事業が破綻。
しかし、苦境のどん底にあるなかでも、弟子に励ましの詩歌を贈り続ける戸田会長の姿に、池田青年は誓った。

「恩師の一切を継ぐ志ならば、いつの日か恩師のように詩歌で励ましを友に贈ることもまた、私に課せられた使命であろう」

「決然と我は立ちなむ」第3代会長に就任

やがて恩師亡き後、1960年5月3日。
創価学会第3代会長に就任。
会長就任の決意を和歌に詠んだ。

  

負けるなと
断じて指揮とれ
師の声は
己の生命(いのち)に
轟き残らむ

昭和三十五年五月三日
会長就任の朝
大田区 小林町

  

決然と
我は立ちなむ
会長と
創価と広布に
生命(いのち)捧げて

昭和三十五年五月三日 朝七時


会長就任から半年後、世界へと飛翔していく。
移動の車中、わずかな合間を縫っての口述筆記。激務のさなかでも、血肉を振り絞って詩をつづってきた。目にした自然、健気な庶民の姿など魂に響く詩を、一つ一つうたい上げ、人びとに勇気と励ましのメッセージを贈り続けた。

  

ひたむきに生きる 青き友よ
さあ! こちらへきたまえ
君のために 半座を分かとう
君の辛労を 私はじっと見守ろう
君の躍々たる真実を
私だけは讃えたい
その姿を 私の 生涯にわたる
路線としたいのだ

(「雑草」より)

われ一人正義乃旗持つ也

1979年、学会に嵐が吹き荒れる。
名誉会長を陥れようとする、あらゆる勢力が、会員との絆を断ち切ろうと謀略の限りを尽くす。ただ会員を守るため、4月24日、創価学会第3代会長を辞任する。

その直後の5月5日、創価学会神奈川文化会館で、「正義」の揮毫を認(したた)めた池田名誉会長は脇書に記した。

  

われ一人正義乃旗持つ也


そしてただ一人、反転攻勢の戦いを開始したのである。

  

一人烈風に 身をさらしつつ
一人烈日に 身を焦がしつつ
愛する我が同志を 守りぬかんと
一切の障魔との対決に 一歩も退かぬ
また一日
所詮 仏法は勝負なるを
知悉(ちしつ)したが故に
怒り狂う波間にあって
一瞬の停滞も 逡巡もなかった
真の丈夫(ますらお)の姿をば
阿修羅の如く 示し残さんと

(「青は藍よりも青し」より)


もう一度、新しい学会をつくり直す覚悟で、一人、また一人と同志を励まし続けた名誉会長。その戦いこそが、同志との絆を、さらに強靱なものにし、嵐に揺るがぬ師弟の城を築き上げた。

「詩心」で「平和の連帯」を

1990年代初頭、衣の権威の鉄鎖を断ち切った池田名誉会長は、徹底した行動主義で世界の識者と対話を重ね、友好の絆を深めていく。
それは「詩心」で「平和の連帯」を築きゆく戦いでもあった。

  

偉大なる詩は
戦いのなかに生まれる
真正の詩人は
戦いのなかで生まれる
戦う民衆のなかで目覚める

(「詩人 ー 魂の戦士」より)


1981年、世界で最も優れた詩人に与えられる「桂冠詩人」の称号が名誉会長に贈られた。この称号をはじめとし、世界の名だたる賞が贈られている。

1995年8月8日 世界詩歌協会 「世界桂冠詩人」
2007年10月5日 世界詩歌協会 「世界民衆詩人」
2010年8月7日 世界詩歌協会 「世界平和詩人」

  

アメリカ・エマソン協会 サーラ・ワイダー前会長

私が池田名誉会長の詩で非常に重視しているのは、名誉会長はホイットマンや他の多くのアメリカの詩人のように、詩歌は皆のものであり、万人の経験を深く謳うものだという事を強く訴えている点です。
詩人は民衆の声を代弁し、平和と正義を訴える存在なのです。


「闘う詩人」「行動する詩人」
詩人としての池田名誉会長を人はこう呼ぶ。

みずみずしい「永遠の青年」の心で、桂冠詩人が紡ぎ出す「言葉の結晶」は、距離を越え、時代を超えて人間勝利の輝きを放つ。

  

私は、道を開く人でありたい
私は、道を歩み通す人でありたい
どこまでも どこまでも
歩み抜き、走り抜いて
もしや途上に倒れるとも
荒野の土になろうとも
わが道に続く若人を信ずるゆえに
私には悔いはない

  

  

池田大作先生の足跡