「二十一世紀の人権を語る」アタイデ・池田対談

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ブラジル文学アカデミー総裁を長年務めたアタイデ博士は、ペンの力で軍事独裁政権と闘い、民主化を勝ち取った人権の闘士。
博士が94歳になるまで待ち望んだ池田先生の出会いと、対談集『21世紀の人権を語る』完成までの経緯をまとめた。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

人権の不滅の金字塔『世界人権宣言』

リオにそびえる南米の知性の殿堂、ブラジル文学アカデミー。

1897年の設立以来、100年以上もの長きにわたり、ブラジルの言語文化と文学の発展に貢献してきた。
正会員は40名、その会員になるのは「大統領になるより難しい」といわれている。

1959年から、およそ35年にわたって、このアカデミーの総裁を務めたのがアタイデ博士。

アタイデ総裁は、1948年、第3回国連総会で採択された『世界人権宣言』作成に中心的役割を果たした一人としても知られている。

人類史上最大の戦争となった、第2次世界大戦。
それは、激しく人権を蹂躙(じゅうりん)した戦争でもあった。

この悲劇を決して繰り返さないために。
1945年に発足した国連と、その加盟国を中心に、人類の基本的な権利に関する宣言、世界人権宣言作成への動きが加速した。

世界55カ国の代表が集い、世界人権宣言の検討が始まった。
アタイデ総裁も、ブラジル代表として参加。
アメリカ大統領夫人エレノア・ルーズヴェルト女史、フランスの法学者ルネ・カサン博士と共に、委員会の中心的役割を担った。

しかし、イデオロギーの対立する西側と東側が、同じテーブルに着く。
議論は、白熱した。

アタイデ総裁は、各国の合意が得られるよう、不眠不休の努力を続けた。
それは、文化や国境を超え、人権を普遍的な価値へと高める戦いでもあった。

1948年12月、国連総会にて、ついに人権の不滅の金字塔『世界人権宣言』は採択された。

作成中心者の一人、ルネ・カサン博士は、1968年、ノーベル平和賞を受賞する。
席上、博士は、こう述べた。

「この賞は、私一人のものではない。ブラジルの偉大な思想家、アタイデ氏と分かち合いたい」と――。

「94年間 お待ちしておりました」

1980年代のある日、アタイデ総裁は、ルネ・カサン博士より一冊の本を贈呈され、こう助言される。

「東洋の思想家にすごい人物がいる。この本を読み、この人物に会うべきだ」と。

その本のタイトルは『21世紀への対話』。
その人物とは、池田SGI会長であった。

アタイデ総裁は、ブラジル文学アカデミーの在外会員に、池田SGI会長を推挙することを決意。
在外会員には、トルストイ、エミール・ゾラなどが名を連ねる。

SGI会長の在外会員授与は、アカデミー理事会において、満場一致で決定された。

そして、アタイデ総裁と池田SGI会長の、歴史的な出会いが実現する。

  

アタイデ氏:先生に会えてうれしいです。
素晴らしい、素晴らしい人であります。
同志、友人であります。
政府要人もお待ちしておりました。
先生のことを大歓迎しております。
ブラジル全国民が先生をお待ちしておりました。

池田先生:本当は、先生を日本にお呼びしたいのが、私の念願なんです。

アタイデ氏:2人で力を合わせて、この人類の歴史を変えましょう。


この日、空港で2時間も前からSGI会長を待ち続けていたアタイデ総裁。
出会いの瞬間、総裁は声を張り上げた。

  

アタイデ氏:94年間、お待ちしておりました。


その3日後、ブラジル文学アカデミー在外会員就任式が行われた。
アジア人初の受賞となる池田SGI会長。

席上、池田SGI会長は、記念講演を行った。

  

池田先生:私も微力ながら、そのような普遍的な精神性の土壌の開拓に、いや増して挺身(ていしん)していく決意であります。

新たなヒューマニズムの実現へ

この出会いを機に、2人の対談集の話が持ち上がる。
すぐに準備が進められた。

アタイデ総裁、この時94歳。
体調も、万全ではなかった。

SGI会長は、アタイデ総裁の健康を気遣い、対談の延期を申し入れる。
しかし、総裁は、こう語ったという。

  

アタイデ氏:もう私には時間がありません。
すぐ始めましょう。
私は、語って語って語り抜きます。


総裁は、人生の最終章で出会った、本当の同志との語らいの道を選んだ。

2人の闘う魂は、対談集『21世紀の人権を語る』として結実。
対談集の中で、池田SGI会長は、こう語っている。

  

池田先生:民衆に苦悩をもたらす、あらゆる「差別」と戦い、すべての人が「人間」らしく生きられる世界を築いていくことが、次の世代への私たちの責務です。


アタイデ総裁は、語っている。

  

アタイデ氏:池田会長の存在は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。
そして二十一世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻まれることになるでしょう。

  

  

池田大作先生の足跡