2024.11.29
「人生問答」松下幸之助と池田大作
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※動画は1974年9月5日、同年12月10日に録音された対談をもとに構成しています
実業家の松下幸之助氏と池田先生の交友録。激務を縫っての2人の対話は約30回に。
年長の松下氏は息子ほども年が離れた池田先生を慕い、謙虚に学ぶ姿勢を崩さなかった。
晩年の松下氏がたどりついた境地は「素直な心」。
功を成しても初心を忘れないよう常に自戒していた。
※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。
松下幸之助氏との深い友情
池田先生:私がね、21世紀まで生きても、まだ今の現在の松下先生の年齢にならないのです。
松下氏:そうですか、なるほどね。先生と僕となんぼ違うんかな。35ですか。
池田先生:いくつ違うんだろうね。先生、おいくつですか。
松下氏:80です。
池田先生:80…いくつ、34…ご尊敬申し上げます。
松下氏:ちょうど僕の息子みたいなもんですな。
池田先生:息子ですね。
大阪の地から立ち上がり、日本経済の先頭を駆け抜けた立志伝中の人物。現パナソニックの創業者、松下幸之助氏。
その松下氏が、池田名誉会長と深い友情を結んでいたことは、あまり知られていない。
34歳の年の開きも、親子というジョークで笑顔に変わる二人の関係は、1967年より、真心込めた出会いの積み重ねによって築かれてきたものである。
その中でも、松下氏にとっての迎賓館である京都「真々庵」での出会いは、6時間にも及ぶものであった。
人間として、深く通じるものがあった二人
松下氏:政治学でもね、経済学でもね、これを教える事も習う事もできますよ。しかしね、生きた経営ってね、生きた経営というものは教える事できないです。習う事もできないです。そら悟らなしょうがないです。
池田先生:なるほどね。
松下氏:自分で会得せんとね。実際やってきたからね。大体これこうしたらええんだろうというような事も、ある程度分かりますわな。
池田先生:分かりますね。組織も同じですね。組織は作れば動くと思えば大きな間違いですね。組織以前のね、やっぱり作用というものが、どのように組織を動かす事ができるか。人間を動かす事ですからね。
血のにじむような努力と苦闘を経て、一代で世界に冠たる大企業を築き上げた松下氏。日本最大の民衆団体の指導者として、幾度もの怒涛を乗り越えてきた名誉会長。
2人の活躍の分野は違っていた。しかし、人間として、深く通じるものがあった。そんな2人の間に、往復書簡の話が湧いた。
池田先生:対談というと、非常にこれはまた長くなるし大変になるし、むしろ時間が空いている時に、今、当面問題の事を私も勉強したいし、また先生も、あんたの考えもぜひとも聞きたいから、という事をおっしゃってくださって、私の方から対談を、むしろ書面で、それでは、できる時にしあいましょうと。
私の方は、先生きっと途中でおやめになると思ってね。だんだんと本格的なんです、来るのが。
松下氏:先生からそういう激励があったからね、僕もやったわけですよ。やってみて途中で、これは困ったなという事はありましたけどね。助手にも手伝うてもらい、したわけです。
心温まる祝詞が贈られる
逝去の前年である1988年、還暦を迎えた名誉会長に、松下氏から心温まる祝詞が贈られた。
松下氏からの祝辞(抜粋)
先生には、お体も、お心も、若さに溢れておられ、とてもご還暦には思われませんが、本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになって頂き、「もうひとつ創価学会」をお作りになられる位の心意気で、益々ご健勝にて、世界の平和と人類の繁栄・幸福のために、ご尽瘁とご活躍をお祈り致します。
「もうひとつ創価学会を」――松下氏らしい気宇壮大なお言葉であったと、名誉会長はのちにつづっている。
今世で巡り合った二つの魂の語らい
池田先生:私が一番大変だったのはね。第2代の会長が亡くなりました。32歳で、理事会やいろんな委員会がですね、私を立てたわけです。私も32歳で力ありませんし、これから前途未開の地を切り拓いていかなきゃならない道ですから、非常に苦しみました。それはやっぱり受けた時は、自分は死のうと、死ぬ以外道はないと、こういう決心でした。
松下氏:それでね、32歳でね、それをやってね、わずか15年でね、700万世帯をね、人を救済した。ほかの者はできなかった。これはもう本当にね、話ではできるけどね、実際はできないですよ。
池田先生:私がその時に思いましたのはね、先生と同じですね。先輩や同志を信頼しようと。もうその人たちにお願いしながら、自分も責任者として命を捨てようと。この決心ですね。
松下氏:それでね、先生の言うことよく分かりますな。僕はね、仕事はあっても先生とは自分の位置は小さいけどね、どの社員見てもね、僕より偉いと思う。実際に偉いですよ、僕よりか。そう思ってやっていますよ。
話すほどに互いを知り、知るほどに話が深まっていく。今世で巡り合った二つの魂の語らいは、『人生問答』として、とわに残ってゆく。
池田大作先生の足跡