母娘で語る震災証言【前編】「悲哀を勇気に変えて」(宮城県名取市・閖上)

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東日本大震災から11年。宮城県仙台市の南に隣接する名取市。

なかでも名取川の河口部周辺に位置している閖上(ゆりあげ)地区は甚大な津波被害がありました。
被災した大宮理香さん・愛梨さん親子が当時の様子を振り返りながら、ふるさとである閖上の復興に向けて、共に歩んできた体験を語ります。

※本記事は、2022年1月30日に開催された創価学会東北青年部主催のオンライン証言会の映像内容を記事にしたものです。

左:母の理香さん、右:娘の愛梨さん
<左:母の理香さん、右:娘の愛梨さん>

すっかり変わり果てた閖上の町

(以下娘・愛梨さんの証言)
2011年3月11日。私は当時通っていた閖上小学校の卒業式を1週間後に控え、友人と卒業式で着るはかまの話をしながら、掃除をしていました。

午後2時46分、これまで経験したことがない激しい揺れが襲ってきました。

先生の指示で机の下に隠れようとしても、掃除で机の上にあげていた椅子が次々と落ちてくるため、その場でしゃがんでいることしかできませんでした。

津波の到達予想時刻が過ぎても津波が来なかったため、私たちは親に引き渡されることになり、全員で体育館へ移動しました。

しばらく待機していると、誰かが「津波だ!」と叫びました。外を見ると黒い壁のような津波が迫ってきていました。

私たちは慌てて屋上を目指し、必死に階段を駆け上がりました。人生で初めて死ぬかもしれないという恐怖を味わいました。

屋上で目に飛び込んできたのは車も家も人も津波に流され、すっかり変わり果てた閖上の町です。

徐々に水かさが増す様子をただじっと眺めていました。

“このまま水が屋上まで迫ってきたらどうしよう”
“あの流される屋根にしがみついている人は助かるのか”

次々と町をのみ込む光景が広がり、不安と恐怖でいっぱいでした。

学校も1階の天井まで浸水。その日は小学校の教室で過ごしました。
プリントや段ボール、ゴミ袋を使いながら寒さをしのぎました。その晩は全く眠れず、今までで一番長い夜に感じました。

名取市/東日本大震災アーカイブ宮城
<名取市/東日本大震災アーカイブ宮城>

  

やっと食料を口にできたのは翌朝。食パンとジュース1缶を、2人で1セット配られました。
ジュースは近くに流れ着いた自動販売機に残っていた物で、泥が付いていました。
それでもうれしく、いつにも増しておいしく感じました。

波が引き、外に出ると一面にがれきが広がっていました。
1日で起きたこととは思えないほど、変わり果てた閖上を見て、“本当に私の町なの?”と、現実を受け止められませんでした。

避難生活の中で心に刻んだこと

内陸にある柴田町の祖父母の家で、避難生活を送りました。
家は無事でしたがライフラインは寸断されており、しばらくは、水は給水車から確保。

余震が続き、不安な日々ではありましたが、何よりも津波が来る心配のない場所で、家族全員と過ごせていることが、本当に幸せでありがたかったです。

小学校の卒業式は、市内の別の校舎を借りて私服で行いました。
正直、当時はずっと楽しみにしていたはかまを着られなかったことが、残念で仕方ありませんでした。
簡易的な式に縮小したため、卒業したという実感も湧きませんでした。

実は震災の1カ月前、私は関西創価中学校を受験していました。
しかし結果は不合格でした。落胆や後悔もありましたが、気持ちを切り替え再び高校受験に向けて準備をしている最中での大震災。

始めたばかりの塾の教材は流され、学校すらこれからどうなるのかも分からない。先が真っ暗になりました。

閖上小学校・中学校は、市内の小学校の空き教室を間借りして再開。
避難先がばらばらだった友人たちと、同じ場所で集い合えていることに気分が弾みました。

文房具やジャージ、部活動で使う道具などあらゆる物が支援物資として、次々と届きました。
顔や名前が分からなくても全国の方々から支えられていることに改めて気付かされました。

そして何より大変な日々の支えとなったのは、池田先生からの激励です。
「『心の財(たから)』だけは絶対に壊されません」とのご指導に、希望の光がともされ、再び前を向くことができました。

“震災で失ったものがあっても「心の財」だけは絶対に壊されないということを示そう”と勉強に励みました。

勉強を進めていく中で、不安や諦めの心が何度も湧き上がりましたが、家族や地域の創価家族の励ましを思い出し、自らを奮い立たせました。

受験当日、できることは全てやり、“これで落ちても悔いはない”と言い切れる自分で迎えることができ、関西創価高校に合格することができました。

また学校の先生、地域の方々など多くの方が自分のことのように合格を喜んでくださり、感謝で胸がいっぱいでした。

そして何より私の夢を一番信じて応援してくれた両親と祖父母には感謝をしてもしきれません。

卒業式で祖父母と
<卒業式で祖父母と>

社会人一年目、地元宮城で

昨年、創価大学を卒業後、不動産業界に就職し、地元・宮城の配属となりました。
就職活動の時期は新型コロナウイルスが流行し始めた時で、面接が相次いで中止や延期になりました。

不安や心配が積もることもありましたが、第一志望の業種に就職できました。私にとって大震災での体験は、これから先も直面する多くの苦難を勝ち越えるための糧になると確信します。

そして私には「悲哀を勇気に宿命を使命に変える信心」と、何があっても守り支えてくれる家族や学会の同志、池田先生がいます。

これからも信心で「心の財」を積みながら、断じて負けない報恩感謝の人生を歩み続けてまいります。

▼【後編】母娘で語る震災証言「ふるさと閖上のために」

https://www.sokagakkai.jp/picks/2044583.html

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。