2024.11.29
「人権の夜明けのために」ローザ・パークスと池田大作
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米国の人種差別政策と戦い、「人権の母」として名を残したローザ・パークス。1955年のバス・ボイコット運動は、彼女の勇気ある行動がきっかけとなった。青少年の育成に力を注いでいたパークス女史は1993年1月30日、池田先生と出会い、実り多い会話を交わした。
※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。
「人権の母」が選んだ1枚の写真
2013年2月27日、アメリカ合衆国連邦議会議事堂に、リンカーン、ジェファーソンなどと並んで、ローザ・パークスの像が設置された。
「人権の母」として世界中から慕われる、その生涯に敬意を表して贈られた。
これは、黒人女性として初めての栄誉である。
1994年に、アメリカで出版された「写真は語る」。
アメリカ各界の著名人が、自分の人生に最も重要な影響を与えた写真を選び、エッセイとともに掲載したものである。
ローザ・パークスが選んだのは、この1枚であった。
一人の女性の声が人々の心を変えた
ローザ・パークスは、1913年、アメリカ南部のアラバマ州で生まれた。
当時のアメリカは、南部を中心に徹底した人種隔離政策が定着しており、公共施設には「白人用」「黒人用」という表示板が掲げられていた。
1955年12月1日、この1日は、ローザ・パークスにとって、そして、世界中にとって忘れられない1日となった。
彼女は、バスで白人に席を譲らなかったというだけで、逮捕されたのである。
青年牧師マーティン・ルーサー・キングJr.は、バス・ボイコット運動を呼び掛ける。
彼の呼び掛けによって、何千人もの黒人たちが、バスへの乗車拒否を始めた。
この「バス・ボイコット運動」は、実に1年以上にわたって続いた。
雨の日も風の日も、彼らは“WE SHALL OVERCOME”を声高らかに歌いながら、勇敢に誇り高く歩き続けた。
1956年11月、連邦最高裁は「バスの人種隔離は違憲である」とする判決を下した。
この出来事が起爆剤となって、公民権運動は急速に全米に広がっていった。
一人の女性の「ノー!」という正義の声から始まった運動が、人々の心を変え、公民権法の成立へとつながっていった。
はじめの一人は「万人に通じる一人」
その後も彼女は、人権のための行動を続けた。
1987年には、「ローザ&レイモンド・パークス自己開発教育センター」を設立し、青少年の育成に全力を注いだ。
同じ教育に携わる者として、パークス女史は、池田SGI会長に強い興味を抱くようになった。
そして、2人の出会いが実現する。
2人の語らいは、共に迫害を乗り越えて戦ってきた人権の闘士として、心通じる温かな語らいであった。
池田先生:不当な差別に、女史が一人 毅然(きぜん)と「ノー!」と叫ばれたことが、歴史を変えた。
「一人」の勇気が、「万人」に伝染し「万人」を立ち上がらせた。
はじめの一人は「万人に通じる一人」です。
パークス女史:私たちは、すべての人が安心して住める場所--調和のとれた「繁栄」と「平等」の場所を作るべきです。
また、私たちには「平和」が必要であることを知り、すべての戦争をやめさせるべきです。
会見が終わろうとする頃、パークス女史は写真のことを切り出した。
パークス女史:私は、はじめ「バス・ボイコット運動」の写真を選ぼうと思っていました。
しかし、今日、会長にお会いしたことによって「世界平和」への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします。
私は、「平和」につくしたい。
もしよろしければ、今日の会長との写真を本に載せたいのですが。
こうして2人の語らいの姿はカメラに収められた。
池田先生:いつまでもお達者で。
人権のために、人類のために、またセンターのために、アメリカのために、私たち友人のために、まだまだ生き抜いてください。10年20年。それで、日本にもいらしてください。
最大に歓迎します。
「池田博士へ」ローザ・パークスの書き記した芳名録
さらに、1年後の1994年5月。
池田SGI会長の呼び掛けに応え、パークス女史は日本を訪問した。
この会見で池田SGI会長は、パークス女史の足跡を世界中の青年のために残してほしいとの思いを込めて、こう語った。
池田先生:これからも、どんどん本を出して下さい。
パークス女史は、SGI会長の言葉に励まされたように、1994年に『勇気と希望』を、1996年には『ローザ・パークスの青春対話』を書き上げた。
2005年10月24日。
世界中が愛した「人権の母」、ローザ・パークスは、92年の人生に幕を閉じた。
「ノー!」
平凡な一婦人の勇気の一言が、歴史を一変させた。
彼女の生涯は、多くの人に勇気を与えたのだ。
パークス女史:池田博士へ
あなたの偉大なる人道主義の精神は、私に多くの友人と協力しながら、自分の仕事を続けてゆくための希望と勇気を与えてくれました。
私の亡き夫のレイモンドが、この場にいて、このすばらしい時を、ともに過ごすことができたら--と思います。
親愛と感謝をこめて
ローザ・パークス
池田大作先生の足跡