ハーバード大学講演
21世紀文明と大乗仏教

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アメリカ、東海岸に位置するマサチューセッツ州ボストン。
ボストンからチャールズ川を隔てた対岸に、アメリカ最古の伝統を誇るハーバード大学はある。合衆国の建国よりも古い歴史を持つ同大学の創立は1636年。

この名門大学から招へいを受け、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は2度にわたって講演を行ったのである。第1回目の講演は1991年。「ソフトパワーの時代と哲学」をテーマに行われた。そして2年後、2度目の講演が実現した。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

大乗仏教の生死観「生も歓喜 死も歓喜」


1993年9月24日。ハーバード大学イェンチェンホール。
アメリカ東海岸の名門大学から150人を超える幅広い分野の研究者が集った。
歴代大統領のブレーンを務めた「経済学の巨人」ジョン・ガルブレイス博士が、コメンテーターを務めるなど、この講演は注目を集めていた。
講演の冒頭、池田SGI会長は、「生も歓喜 死も歓喜」とする大乗仏教の生死観を真正面から論じた。

  

池田SGI会長

生あるものは必ず死ぬという生死。 死の問題こそ、古来、あらゆる宗教や哲学が生まれる因となってきました。
なぜ、人間にとって死がかくも重い意味をもつかといえば、
何よりも死によって、人間は己が有限性に気づかされるからであります。
どんなに無限の「富」や「権力」を手にしても、そうした人間であっても、いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。


池田SGI会長がこの講演で、生死の問題を取り上げたのはなぜだったのか--。

1989年、ベルリンの壁が崩壊し、長く続いた東西冷戦が終結。
1991年にはアメリカが湾岸戦争に勝利する一方、社会主義の盟主・ソ連が崩壊。
アメリカ社会は、一種の高揚感に包まれていた。

「死を忘れた文明」といわれる近代

  

ハーバード大学 ヌール・ヤーマン教授 (文化人類学)

人々は、これからの未来に対し、とても楽観的でした。アメリカ中心の資本主義をたたえ、新しい世界に対する無限の可能性を感じていたのです。
未来に対する明るい考えが一般的だった背景の中で、池田博士の講演は、世界へ警鐘を鳴らすものでした。

  

池田SGI会長

「死を忘れた文明」といわれる近代は、この生死という根本課題から目をそらし、死をもっぱら忌むべきものとして、日陰者の位置に追い込んでしまったのであります。

  

ヌール・ヤーマン教授

なぜ人々は「死」の問題から目を背けるのか。
それは、消費主義の社会のせいです。今のメディアの構造は、私たちを今日・明日にのみ目を向けさせ、未来については考えさせないようにしているのです。

  

池田SGI会長

その結果、現代人は死の側から手痛いしっぺ返しを受けているようであります。今世紀がブレジンスキー博士の言う、あの「メガ・デス(大量死)の世紀」となったことは、皮肉にも「死を忘れた文明」の帰結であったことは、間違いないようであります。


SGI会長は、20世紀が戦争と殺りくの世紀となった根本的要因を「死から目をそらすことにある」と喝破したのである。

  

ヌール・ヤーマン教授

1993年当時、人々は誰も未来については分かっていませんでした。9.11のテロで新たな世紀が幕開けすることを。
それ以後、世界は戦争という全く間違った方向に進みました。その結果、たくさんの人が死にました。これこそ、私たちが恐れていたメガ・デスなのです。


池田SGI会長は、大乗仏教の生死観をダイナミックに展開した。

生死観、生命観の内なる変革こそ第一義

  

池田SGI会長

仏教では「法性の起滅」を説きます。 法性とは、現象の奥にある生命のありのままの姿をいいます。生死など一切の事象は、その法性が縁にふれて「起」すなわち出現し、「滅」すなわち消滅しながら流転を繰り返していくと説くのであります。

従って死とは、人間が睡眠によって明日への活力を蓄えるように、次なる生への充電期間のようなものであって、決して忌むべきでもなく、生と同じく恵みであり、嘉せらるべきことであると思うのであります。

信仰の透徹したところ、生も喜びであり、死も喜び、生も遊楽であり、死も遊楽であると説き明かしております。日蓮大聖人も「歓喜の中の大歓喜」と断言しておられる。次なる世紀にあっては、従ってこうした生死観、生命観の内なる変革こそ第一義となってくるであろうと、私は確信しております。


マサチューセッツ大学ボストン校のウィンストン・ラングリー教授は、語っている。

  

マサチューセッツ大学ボストン校 ウィンストン・ラングリー教授 (国際政治学)

私たちは、人間という存在について理解せねばなりません。
人間という存在は、生と死のリズムを帯びています。
死を無視して、正しき生を理解することはできないのです。


講演は、平和と希望の世紀を築くための、具体的な方法論に移っていった。

「開かれた対話」を可能にするために

  

池田SGI会長

釈尊の言葉に「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」とあります。「一本の矢」とは、一言にしていえば“差異へのこだわり”といってよいでしょう。「民族」であれ、「階級」であれ、克服されるべき悪、すなわち「一本の矢」は、外部というよりまず自分の内部にある。


SGI会長は、釈尊の「一本の矢」の譬えを通し、宗教や文化、肌の色など、自分と異なるものへの差別意識を克服することによって、「開かれた対話」が可能になることを論じた。

  

池田SGI会長

もし、こうした対話の姿勢が徹底して貫かれるならば、対立ではなく調和が、そこにまた偏見ではなく共感が、争乱ではなく平和が訪れてくることは間違いない。

  

ウィンストン・ラングリー教授

対話の中で重要なのは、単に誰かと親しくなることだけではなく、相手の中に、自分と共有する何かを見つけることです。互いの生命に共通点を見いだしたとすれば、果たして人々は、殺し合うことなどできるでしょうか?


SGI会長は、現代社会の危機を克服するには、生命の内なる宝を開く、「精神の変革」こそ重要と訴え、こう締めくくった。

  

池田SGI会長

21世紀の人類が一人一人の「生命の宝塔」を輝かせゆくことを、私は心から祈りたい。そして、「開かれた対話」の壮大な交響に、この青き地球を包みながら、「第三の千年」へ、新生の第一歩を踏み出しゆくことを、私は願うものであります。

  

ヌール・ヤーマン教授

池田博士の、現代社会の問題に対する鋭い感覚と、それらの問題に対する、大乗仏教・日蓮の教えに基づいたメッセージは、非常に示唆に富み、印象的でした。

  

ウィンストン・ラングリー教授

21世紀になっても、さまざまな危機が続いています。しかし、それが、人間を目覚めさせるきっかけになっているのかもしれません。
私たちが本当に目覚めたとき、「平和の世紀は築くことができる」とただ一人、世界にメッセージを送り続けてきた池田博士の行動に、私たちは気付かされることでしょう。


大乗仏教の視点から、21世紀を展望し、警鐘を鳴らした「ハーバード大学講演」。
そのメッセージは、21世紀を生きる私たちに、大きな示唆を与え続けている。

  

  

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池田大作先生の足跡