【戦争証言】平和への願いをこめて-看護婦-

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従軍看護婦。彼女たちの多くが軍隊と共に戦地に赴き次々と運ばれてくる負傷兵を看病しては、その最期を看取っていきました。一方、国内の病院でも医薬品が欠乏しそこで働く看護婦(現在は看護師)たちは劣悪な環境での仕事を強いられたのです。

杉本和子さん(当時18才)

杉本和子さんは、太平洋戦争中の1943年に日本赤十字社の実地研修生として、中国東北地方の陸軍病院に配属されました。

里口とよかさん(当時25才)

里口とよかさんは三重県尾鷲市の紀勢病院の総婦長でした。日本の軍艦がアメリカ軍に攻撃され、多くの負傷兵が湊から担ぎこまれて来ました。しかし、医薬品もなく満足な治療も受けられずに命を落としていく兵士たちを無念の思いで看取りました。

西中和子さん(当時20才)

西中和子さんが勤務していた東京の病院では、医薬品が欠乏し、伝染病が蔓延。患者だけでなく友人の看護婦たちも次々と感染し亡くなっていきました。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。