【戦争証言】平和への願いをこめて-女性と子どもたち-

公開日:

1941年、当時の小学校は戦時体制に応じた初等教育を目的とする「国民学校」に変わり、子どもたちは大きな影響を受けました。
また女性たちは愛する夫や息子を戦地に奪われ、残された家族を守るため、度重なる空襲の中を必死で闘いました。

小川和美さん(当時11才)

1944年8月、国民学校5年生だった小川和美さんは空襲を避けるため、名古屋市内から郊外の弥冨町に学童疎開しました。彼女のような疎開先に親戚のいない子どもたちは「学童集団疎開」のもと、参加を義務づけられました。

久慈満代さん(当時13才)

岩手県の国民学校に通っていた久慈満代さんは「教育勅語」などを暗記させられ、徹底した軍国主義教育を受けたことを覚えています。多くの子どもたちが「日本は神の国」「日本は絶対に負けない国」と口々に答えるような時代でした。

大城春子さん(当時23才)

当時は出征前、戦地に行く人を安心させるために必ず許婚をする習慣がありました。大城春子さんは19才の時に婚約し、婚約者を戦地に送り出しました。3年後、婚約者の戦死の知らせを受け、悲しみにくれました。

金子悦子さん(当時18才)

「赤紙」が到着すると、4~5日後には受取人は戦地に赴かなければなりませんでした。金子悦子さんは男性が次々に出征した後、残された女性たちが銃後を必死で守る姿を目の当たりにしました。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。