“無限の可能性”を開く ~日蓮大聖人のことば~「成仏」とは

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「仏」、「成仏」と聞くと、何をイメージするでしょうか?

例えば、大仏のような”人間を超越した存在”を思い浮かべる方もいれば、
”人は死んだら成仏する”と、死後の世界をイメージする方も多いかもしれません。

しかし、それは、仏教が説く本来の「仏」や「成仏」のあり方とは異なります。

仏教が説く「仏」とは、どのような存在なのでしょうか。
また、日蓮大聖人は「仏」や「成仏」について、どのように説いているのでしょうか。

  


大聖人のことばを通して、原田教学部長が解説します。

「仏」とは

「仏」の語源には諸説ありますが、「目覚めた者」を意味する古代インドの言葉、サンスクリットの「Buddha」に由来しているとされています。仏教では、「仏」とは、真実に目覚めた者、すなわち、”覚りを得た存在”を意味します。

一般的な仏教は、何度も生まれ変わって修行を続けた末に覚りを開き、仏になれると説いています。対して法華経では、この一生で仏の境涯を顕すことができるという「一生成仏」を説きました。

また、多くの経典が、”仏とは特別な存在である”とする一方、法華経は、すべての人が仏になれるという”万人成仏”を初めて説きました。そのため法華経は、「諸経の王」とたたえられます。

大聖人が説く「成仏」

こうした法華経の教えに基づき、日蓮大聖人は、「仏」や「成仏」について次のように教えられました。

  

「成」は開く義なり

(御義口伝 御書新版1049㌻・御書全集753㌻)


”成仏の「成」とは「開く」という意義である”と仰せです。
大聖人は、「仏」とは自分の外の世界にある神秘的なものではなく、自分の内にある最高の生命のことであると説きました。

そして「成仏」とは、私たち一人ひとりの中に生まれながらに具わっている「仏の生命」を開いて、最高の幸福境涯を築くことであると教えられたのです。

そのために、大聖人は「南無妙法蓮華経」の御本尊を顕され、その御本尊に向かって、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることによって、あらゆる人の「成仏」を可能にする根本の修行法を示されたのです。

  

  

御書に「自分の心に具わる妙法蓮華経を本尊と崇め、自分の心の中の仏の生命を南無妙法蓮華経と呼び、呼ばれて現れるものを仏というのである」と仰せのように、誰もが「仏の生命」を顕し、自分自身の無限の可能性を開いていくことができるのです。

  

仏といっても、何か特別な存在になることではないのです。御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることで、その人の生命に本来具わっている、仏の境涯が花開いていきます。

誰もが“仏の生命”を持つかけがえのない存在

池田大作先生は、「仏の生命」について、今の私たちの生き方に即して次のように綴られています。

  

仏法では、万人が仏の生命を具えていると説いています。したがって、その仏の生命を涌現していくならば、どんな試練や逆境にも、絶対に負けることはありません。だから、勇気をもって生きていくんです。あなたが戦い、勝っていく未来を、私は、祈り、見つめています。

(小説『新・人間革命』第19巻 「陽光」の章 244㌻)


誰もが仏の生命を持つ、尊く、かけがえのない存在です。
自分自身の限りない可能性を信じ、挑戦していく教えこそが、日蓮大聖人の仏法なのです。