【被爆証言】平和への願いをこめて-広島-

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1945年8月6日、午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、一瞬にして広島は死の街と化しました。大量の放射能、強烈な爆風、4000度にも達した爆心地の表面温度。一命をとりとめた人も差別や原爆症に現在も苦しめられています。(2005年撮影)

塩田キクエさん(当時21才)

塩田さんは、爆心地から2キロの自宅で当時16才の妹と共に被爆しました。10才の弟は大火傷を負い、14才の妹は亡くなりました。
 
 

吉本ミチヨさん(当時15才)

吉本さんは当時、看護学生でした。原爆が投下された翌日、救援のために医師と共に広島に入り、不眠不休の活動の中、喉の渇きに耐えきれず放射能に汚染された水を飲み被爆しました。
 
 

小塚綾子さん(当時16才)

小塚さんは、爆心地から3キロの職場で被爆しました。奇跡的に無傷でしたが、爆心地を通ってようやくたどり着いた実家で黒い雨にあたったトマトを食べ、その晩から体調を崩しました。
 
 

郭福順さん(当時16才)

広島で被爆した方の中には多くの中国人、韓国人も含まれていました。
郭福順さんは、被爆者、そして韓国人であるが故の差別や原爆症と闘いながら、結婚し子育てを。
現在は語り部として若い世代に原爆、戦争の悲惨さを語り続けています。
 
 

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。