「闘いこそわが人生」ネルソン・マンデラと池田大作

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ネルソン・マンデラ氏は南アフリカのアパルトヘイト反対闘争で28年に及ぶ牢獄生活を余儀なくされた。
この「人権の闘士」が自由の身になって来日した際、池田先生と重ねた友好の記録。
1990年と95年の2度にわたる会談を中心に、2人の深い友情を浮き彫りにする。

※本記事は、動画の内容を抜粋し記事にしたものです。

池田SGI会長とネルソン・マンデラ氏の出会い(1990年10月31日)

さわやかな秋の空に、青年たちの歌声が響いたこの日。28年間の牢獄生活から解放され、来日を果たした人権の闘士、ネルソン・マンデラ氏が、池田SGI会長のもとを訪れた。「自由はあなたの掌中にある」と、マンデラ氏をたたえる歌声が響く。歌声に見送られた後、和やかな雰囲気に包まれながら、初めての会見が行われた。

池田先生:大変にご多忙のところ、世界的な大活躍をしているところ、このように私どもの本部にご来訪いただき、心からまず感謝申し上げます。ありがとうございます。

マンデラ氏:温かい歓迎に感謝いたします。初対面ですが、率直に申し上げます。池田SGI 会長は国際的に有名な方で、わが国でもよく知られております。人類の「永遠の価値」を創りながら、その価値で人々を結びつけている団体のリーダーとして、その役割は世界的に重要です。会長の事を聞いて以来、ぜひお会いしたいと願っていました。会長との会見は「啓発」と「力」と「希望」の源泉と思っています。

マンデラ氏の人権闘争

アフリカ大陸最南端、南アフリカ共和国。1948年以降この国は、アパルトヘイトという名の白人優位の人種隔離政策を行っていた。その現実は、黒人は動物以下、命さえも軽く扱われていた。

弁護士であったネルソン・マンデラは非合法組織であるANCアフリカ民族会議に入り、アパルトヘイト撤廃の戦いに参加。やがて、その指導力が認められ、青年リーダーへ。しかしその影響力を恐れた政府は、1962年8月、マンデラ氏を逮捕。死刑は免れないと誰もが思った。

そして判決。仲間とともに終身刑を下された。この時より28年、実に1万日に及ぶ、牢獄での人権闘争の戦いが始まった。

牢獄の中でも、彼は平等を求めて、権力に挑み続けた。しかし、人間が人間に対して、どこまで残酷になれるか。南アフリカはまるで、その実験場のようであった。

黒人は人間として見られてさえいなかった。それでも、マンデラ氏は存在そのものが民衆の希望であった。誰もが、牢獄にいるマンデラ氏の名前を叫び続けた。誰かが雲で覆い隠そうとしても太陽は太陽であった。

1990年2月11日、マンデラ氏は28年間の獄中生活を経て、自由の身となった。

留学生を創価大学に招へい

池田先生:芸術家、文化人を、ぜひともお迎え申し上げたい。それから、芸術ならびに、(人種隔離)撤廃運動の写真展、それから留学生。特に留学生として、閣下の指名した青年を大学にご招聘(しょうへい)申し上げたい。

マンデラ氏:重要な提案をいただきまして、ありがとうございます。この点につきましては、代表団の1人であるイスマイル・ミーアよりお答え申し上げます。

イスマイル氏:ご提案に深く感謝いたします。特に留学生を創価大学で育ててくださるという事は、私たちをまさに人間として尊重し人間として招いてくださるという心を感じます。実際、南アフリカでは、私たちは『人間』ではなく『黒い人種』として“登録”されているのです。ご提案に、心から感動いたしました。ありがとうございます。

池田先生:大変にありがたい言葉、嬉しいです。必ず、お誓いを果たします。私が責任を持ちます。また喜んでいただけるような、立派な青年を育てます。大学で! いくら閣下が最優秀であっても、1人だけ最優秀であって、木が高くて、ほかの木が低ければ、これはやっぱり森林にはなれません。同じように高くしなければなりません。大地は教育です。

  

マンデラ氏は万感の思いで、出会いの喜びを語られた。

  

マンデラ氏:私たちが今日、ここで得た最大の収穫は会長の英知の言葉です。 勲章はいつか壊れてしまうかもしれません。賞状もいつか焼けてしまうかもしれません。しかし、英知の言葉は不滅です。その意味で、勲章や賞状以上の贈り物を頂きました。私たちは、ここを訪ねた時よりも、より良き人間になって、ここを去っていく事ができます。私たちは、これから、あなたの事を忘れる事はありません。いや、人生の中で、ずっとあなたの事を思い続けていくでしょう。

池田先生:閣下のお話と、同じ以上の心を、そのまま閣下にお伝えします。

マンデラ氏とSGI会長の友情

会った瞬間から、心が通い合っていた。この時より、SGI会長が提案した事柄が、友情の証として着実に形となっていった。

例えば、展示会の開催については、1993年に「現代世界の人権展」として結実。「教育交流」については、1996年以降、創価大学と名門ウィットウォータースランド大学との間で交換協定が実現。

「芸術家・文化人の招聘(しょうへい)」は、民音により、国を代表するグループ「アマンポンド」と「ドラケンスバーグ少年合唱団」を招聘。全国各地で文化交流の華が開いた。

一方、マンデラ氏は、アパルトヘイトを平和的に終結させた実績で、1993年、ノーベル平和賞を受賞。1994年には、民主的な自由選挙により、アパルトヘイト撤廃後、初の大統領に選出された。世界は、この快挙に拍手を送った。

  

マンデラ氏の演説

私たち、南アフリカ国民は、胸中に人間主義を取り戻すことができた。私たちは、ほんの少し前までは法律の外にいたが、今日、自らの意思で、ひとつの国を運営できる権利を手に入れたのだ。


1995年7月3日。マンデラ大統領は、国家元首として、5年ぶりに来日。
SGI会長は、迎賓館に大統領を訪ねた。
さらに2012年12月。SGI会長へメッセージが届いた。

  

マンデラ氏からSGI会長へのメッセージ

創価学会インタナショナルの会長として、創価大学の創立者として、あなたがこれからも日本、そして世界の青年たちの力になり続けてくださるように、念願しております。

ネルソン・マンデラ

  

  

池田大作先生の足跡