能登半島地震 支援活動続く

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学会本部と各地の災害対策本部 安否確認・被災者の激励に全力

  

  

石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震が2024年1月1日に発生してから1週間。石川をはじめ富山、新潟など広い範囲で激しい揺れに襲われ、特に被害の大きかった能登半島北部の被災地では、至る所に大きな地割れや数十センチの段差ができ、道路が寸断。さらに土砂崩れや倒木、家屋の倒壊が各地で発生した。現在も20以上の集落が孤立しており、物資の搬入や安否確認が困難な状態が続いている。

創価学会では、発災直後に本部と北陸、信越方面、被災各県に災害対策本部を設置。甚大な被害を受けた石川、富山両県の各自治体に義援金を贈ることを決定するとともに支援物資の搬入や被災者の安否確認・激励に全力を挙げている。

  

学会本部の災害対策本部を通じて、災害用の食料品や水などの支援物資が、石川県七尾市の北陸研修道場に運び込まれる(4日)

  

◆輪島市

  

坂元北陸長(左から2人目)と能登圏の増山圏長(左端)が、石川・輪島市門前町の集会所に身を寄せ合っている同志を激励。聖教新聞の配達員をしている友は、「一日も早く聖教を皆の元へ届けたい」と(6日)

  

坂元北陸長、能登圏の増山勝利圏長らは6日、輪島市へ。被災した友の状況に耳を傾け、激励した。
 
田中さんは、消防団の団長として震災初日から活動。地域の被害の状況を見て回り、道路に横たわる木をチェーンソーで切ったり、ひび割れや段差で通れなくなっている道路の応急処置をしたりした。
 
さらに避難所への水や灯油の手配のほか、安全を守るため地域の巡回もしている。「消防団として“地域を守る”との思いでやっています」
 
今井睦子さんは、自宅で世話をしていた義理の母が、震災のショックからか翌日に亡くなった。同志や周囲の人が温かく励ましてくれた。「心は凍てつく氷のようでしたが、皆さんの励ましで少しずつ“頑張ろう”という思いが湧いてきます」
 
今井さんは3日から“福光日記”を作り、そこに同志から贈られた励ましの言葉や自身の決意をつづっている。「先日も句をつくったんです。『たおれても ただでおきない 睦子かな』って。信心していなかったらどうなっていたか、分かりません。同志と共に必ず乗り越えていきます」

  

地震による火災で約200棟が焼失した輪島市の朝市一帯。焼けた面積は東京ドーム1個分以上とも

  

倒壊した家屋が道をふさぐ(輪島市内で)

  

輪島市内の観光名所「朝市通り」の周辺は地震直後に火災が発生し、約200棟が焼失した。堂坂さん夫妻と娘さんは、朝市の近くに2023年11月に引っ越したばかりだった。
 
地震の影響で自宅の玄関が開かなくなり、窓ガラスを割って脱出。その後、高台まで車で避難した。しばらくすると、市街地の空が赤く染まり、煙が高台にまで流れてきた。
 
翌日、戻ってみると自宅があった一帯は、「空襲による焼け野原のようでした」。
 
現在は、金沢市内の親戚宅に身を寄せる。「能登の人間なので、心は能登にあります」

  

◆珠洲市

  

自らが被災しながらも消防団として奮闘する橋元さん(右から2人目)を激励する、浦嶋北陸男子部長(右端)ら。足元には津波による泥も(7日、石川・珠洲市宝立町内で)

  

石川総県の表川総県長、石川牧口県の寺坂県長、浦嶋北陸男子部長らは7日、珠洲市へ向かった。道路横の温度計は0度を示していた。
 
同市の宝立地域で父から継いだ銭湯「宝湯」を経営する男子部の橋元さん。
 
若い力で地域を盛り上げようとさまざまな企画を実施してきた。
 
地震発生時は銭湯の裏庭にいた。倒れてくる電柱を尻もちをつきながらよけたが、その体勢のまま右に左に跳びはねるほど激しい揺れだった。揺れが収まると銭湯は崩れ落ちていた。「どうしていいか分からなかった」が家族や親戚の安否を確認し、消防団として地域の見回りに走った。津波に備えて高台への避難を呼びかけつつ、皆で力を合わせて、何とか2人を救出した。
 
「避難所には、ご家族や親戚を亡くされた方もいます。寄り添うなんて簡単に言えませんが、それでも、寄り添い続けないといけないと思っています」

  

能登半島北部では至る所で地割れや陥没が。道路の寸断が、物資の搬入や安否確認、救助活動を妨げている

  

向平さん夫妻は、猫を飼っているため避難所に入れず、雨漏りする自宅で避難生活を送っている。停電や断水の復旧のめどは立っていない。暖房は、車内の空調と石油ストーブのみ。燃料の心配をしながら過ごしている。家はテレビや家電が動く音もなく、夜は暗闇と無音の世界が続く。
 
「一日が、そして夜が、こんなに長いなんて。まだ1週間しかたっていないなんて信じられません。地域の人と共に、乗り越えていくしかない、前を向くしかないと励まし合っています」
 
菅谷さんは、市内で青果の卸店を営む。自宅付近の断水は続いているが、2日目から電気が復旧した。時間を見つけては安否確認に回っている。
 
停電で携帯電話の充電に困っている同志に「充電しにおいで」と提案。充電を待つ間に、唱題や市内の情報交換を。その唱題の輪は日に日に広がり、励ましの拠点になっている。
 
「みんな暗澹たる思いをしているからこそ、私たちが“最初の希望”の存在になれるようにと励まし合っています」

  

いかなる苦難も「心の財」は壊されない

  

被災地では、池田先生の東日本大震災の折のメッセージを手渡して励ましている

  

被災地を回るリーダーは、2011年の東日本大震災の直後に贈られた池田先生のメッセージを手渡しながら激励している。
 
「『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」――同志はメッセージを読み合いながら、必ず乗り越えられると信じて、負けない日々を約し合っている。