能登半島地震の被災地で奮闘する友 石川・志賀町

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家族と共に笑顔を浮かべる松本稔さん(右端)。妻・夕佳さん(右から3人目)、長女・千華ちゃん(同2人目)、次女・和華ちゃんと(28日、志賀町内で)

  

能登半島地震では、自ら被災しながらも救援活動に奔走するリーダーが数多くいる。
 
志賀町の松本さんもその一人。能登半島を広布の舞台とする石川牧口県の男子部長を務めている。
 
発災から約1カ月、車中泊を続けながら、同志に激励を重ねてきた。「救援活動に動けたのも、妻の応援があったればこそです」と感謝の念は尽きない。
 
震度7を観測し、多くの建物が倒壊するなど、甚大な被害を受けた志賀町。
 
松本さんは、妻の夕佳さん、1歳と3歳の娘、義父母、義祖母の家族7人で暮らしていた自宅兼レストランが損壊。屋根は崩れ、家は傾いた。
 
2台に分かれ、車中泊を余儀なくされた。4日後、夕佳さんと2人の娘、義祖母は、金沢市内に住む夕佳さんの妹・詩歩さん宅に身を寄せることに。夫婦で話し合い、松本さんは地元に戻った。
 
離れることに不安がなかったわけではない。松本さんが事故に巻き込まれないか、一人で体調を崩さないか、夕佳さんは心配だった。

  

青年が地域の“希望の光”に

  

妻・夕佳さんと2人の娘、義祖母の恭子さん(左端)が、避難した金沢市内で

  

「でも、夫がいつも部員さんの激励に回っているのを知っていたので。家族と同様に、メンバーを心配する気持ちが痛いほど分かったんです」。夕佳さんは子育てに追われながらも、毎日、松本さんの無事故と健康、そして復旧・復興を真剣に祈った。家族や周囲にも支えられた。
 
松本さんは救援物資を手に励ましに奔走する中、数日に1度、金沢市内に立ち寄り、愛する家族との時間を過ごした。「娘たちの笑顔が元気の源です」
 
また先日、新しい居住先が見つかり、志賀町内のアパートでの生活が始まった。
 
「離れ離れの時間もありましたが、家族の絆は強くなりました。まだ7人全員で住むのは難しいですが、いつか、一つ屋根の下で暮らせるよう祈っていきたい」と夕佳さん。
 
松本さんは誓う。
「池田先生の弟子として、私たち青年部が地域の“希望の光”となり、必ず復興を果たしていきます!」