原田会長らが周恩来鄧穎超記念館を訪問 記念の桜の銘板を除幕

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原田会長と王副館長(左から6人目)が記念樹の銘板を除幕。「友好を続けよう、未来に向かって」と刻まれている(周恩来鄧穎超記念館で)

  

原田会長をはじめ創価学会代表訪中団は2024年5月27日午前、天津市の周恩来鄧穎超記念館を訪問した。

周恩来総理と池田大作先生が1974年12月5日、一期一会の会見を果たして本年で50周年。この歴史的な節目の訪問を記念し、同館内に立つ3本の桜を創価学会代表訪中団天津訪問の「記念樹」とする銘板の除幕式が行われた。王建平副館長と共に、原田会長、谷川主任副会長、寺崎副会長、沼倉女性部書記長、橋口副女性部長をはじめ全団員が列席した。

  

会見50周年を慶祝して命名された創価学会代表訪中団天津訪問の「記念樹」

  

桜花の縁は永遠に

  

1974年12月5日、周総理と池田先生が一期一会の会見(北京の305病院で)

  

「桜花の縁」――周総理、鄧穎超夫人と池田先生の友誼は、桜で結ばれている。

68年の国交正常化提言をはじめ、両国の関係正常化に果たした池田先生の貢献を高く評価していた周総理は、74年5月に初訪中した先生との会見を希望した。だが、がんの手術のため断念。同年12月の先生2度目の訪中最後の夜に、それは遂に実現した。場所は北京の305病院。総理は医師団の反対を押し切って会見に臨んでいた。

語らいの最中、こんなやりとりがあった。

「五十数年前、私は、桜の咲くころに日本を発ちました」と日本留学の思い出を語る総理。「ぜひ、また、桜の咲くころに日本へ」と望む池田先生。総理は「願望はありますが、実現は無理でしょう」。既にその全身が、がんに侵されていた。

翌75年11月、先生の提案で創価大学に、創大生と中国の留学生の手で「周桜」が植えられた。79年4月、来日した鄧夫人との会見の席に、先生は八重桜の枝を届け、さらに一冊のアルバムを開いた。創大に新たに植えた「周夫婦桜」の写真である。

今回の桜の記念樹の命名は、こうした美しき桜花の縁に、新たな彩りを添えるもの。その桜は、天津にかつて赴任した故・竹腰英雄さんが植樹した。

命名式で原田会長は、こうした歴史に触れつつ、本年も爛漫の「周桜観桜会」が開かれたことを紹介。周総理を「20世紀の諸葛孔明」とたたえ、鄧夫人を「人民のお母さん」と敬愛した池田先生の思いを永遠に継ぎゆく決意を述べた。

王副館長は、会見50年に私たちが桜の木のもとに集い合った意義は大きいと語り、周総理夫妻と池田先生の願いを実現するため、友好を続け、未来に向かおうと呼びかけた。
 
この後、会長一行は館内を見学し、総理夫妻が長年暮らした北京・中南海の「西花庁」をそのまま再現した建物に入った。北京の西花庁を池田先生夫妻は80年4月と90年5月の2度訪れている。

  

  

池田先生が鄧穎超夫人に寄贈した、周総理夫妻の肖像画を前に(周恩来鄧穎超記念館で)

  

90年の会見では、前年の建国40周年に先生が贈った夫妻の等身大の肖像画が、応接室にかけられていた。絵はその後、この周恩来鄧穎超記念館に移り、この日も、再現された西花庁の応接室で訪中団を迎えた。