能登半島地震の被災地で奮闘する友 石川・能登町の酪農家

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坂元北陸長(右端)と能登圏の増山圏長(右から2人目)が、畑中さん夫妻を励ます(11日、石川・能登町内で)

  

能登半島地震の被災地で続く断水が、酪農に大きな被害をもたらしている。
 
「乳牛は搾乳しないと乳房炎になってしまう。乳を搾る搾乳機を洗うのには、水が必要なんです」。能登町で酪農を営む畑中さん夫妻は、そう窮状を訴える。
 
酪農家にとって断水は死活問題。聞けば、近隣の酪農家では、地割れで業者の車が来られないため、乳を搾っては廃棄することを繰り返しているという。
 
畑中さんの牧場では搾乳ができない状態が続いている。
 
地震が発生した2024年1月1日、夫妻は、息子の直樹さん(県青年部長)一家と穏やかな新年のひとときを過ごしていた。夕刻、今までに感じたことのない大きな揺れに襲われた。柱などに、しがみつかないと立っていられないほどだった。慌てて外に飛び出すと、自宅の壁は剝がれ、瓦は落ちていた。大切な牛舎もひどく破損していた。

  

牛舎が倒壊する危険があるため、子牛のすみかを屋根付きの駐車場だった場所に移した

  

同志との絆を胸に苦難に立ち向かう

  

家の中は、見る影もないほど、ぐちゃぐちゃになり、生活できる状態になかった。その日から、納屋での暮らしと車中泊が始まった。その生活は2週間以上続いている。
 
365日、牛の世話から離れることのできない酪農の仕事。畑中さん夫妻はその中で、地区部長・地区婦人部長(当時)、支部長・支部婦人部長(同)を歴任。同志に尽くし、地域広布に駆けてきた。広大な地域を車で走り、聖教新聞の配達等も担っている。
 
夫妻は発災以来、同志に会い、電話をかけ、励まし合って苦闘の日々を生き抜いている。
 
師と共に歩んだ日々の中で結んだ同志との絆を大切に、不屈の心で苦難に立ち向かう。
 
「あっちからもこっちからも、同志からどんどん連絡が来るんです。大丈夫なのかって。こんな中だけど、聖教新聞に知り合いが載っていると安心した気持ちになりますね。創価家族の温かさを心から感じています。負けずに頑張ります」