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マンガで学ぶ日蓮大聖人の御生涯 第3話(身延入山〜ご入滅)

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日蓮大聖人の御生涯ーーそれは、全人類の不幸を根絶し、すべての人々に仏の境涯を開かせたいとの誓願と慈悲に貫かれた妙法弘通の御一生でした。そして、民衆の幸福を阻む一切の悪を責め抜き、大難に次ぐ大難の御生涯でもありました。

創価学会は、民衆の幸福を願い救済し続けた日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、その御生涯をあらゆる機会に学んでいます。

第3話では、「身延入山」から「御入滅」までを、アニメでわかりやすく紹介します。(全3話)

第1話(誕生〜「立正安国論」)はこちら
第2話(竜の口の法難〜佐渡流罪)はこちら

  


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光り輝く獅子と日蓮大聖人の絵。タイトル。マンガで学ぶ日蓮大聖人の御生涯 第3話(身延入山〜ご入滅)

佐渡を離れる大聖人の様子。文永11年(1274年)2月流罪を赦免された大聖人は佐渡から鎌倉へ戻られます。

再び平左衛門尉と対峙する大聖人のイメージ。同年4月には再び平左衛門尉に面会。

第3回国主諫暁のイメージ。平左衛門尉に、邪法による蒙古調伏の祈りをやめるように強く諌めます。

大聖人に平左衛門尉が蒙古はいつくるのかという質問をしそれに、年内と答える日蓮大聖人のイメージ。

身延に入山される大聖人のイメージ。幕府は大聖人の諌暁を用いることはありませんでした。同年5月、鎌倉を離れ身延に入山されます。

文永の役のイメージ。予言の通り、同年10月には蒙古の大軍が九州に襲来しました。

自界叛逆難と他国侵逼難のイメージ。「立正安国論」で示した自界叛逆難と他国侵逼難の予言が二つとも的中したのです。

三度の高名の説明。幕府に直接3度諌暁し、予言が的中したことを大聖人は「余に三度のこうみょうあり」と述べられています。

身延のイメージ。大聖人が入られた身延の地は、日興上人の教化によって大聖人の門下となった波木井六郎実長が地頭として治めていました。

弟子に講義する大聖人のイメージ。身延では、法華経の講義などを通して人材の育成に取り組まれています。

御書を執筆される大聖人のイメージ。また撰時抄、報恩抄など数々の御書を執筆し重要な法門を説き示されました。

三大秘法の説明。「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」という三大秘法を明らかにしたのも身延でのことです。

大聖人からのお手紙を読む門下のイメージ。さらに各地の在家門下に数多くの御消息(お手紙)を書き送って励まされています。一人ひとりが強盛な信心を貫き、人生の勝利と成仏の境涯が得られるよう、懇切に指導・激励を続けられました。

弘教する日興上人のイメージ。日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められていました。

天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて、大聖人に帰依したのです。

危機感を募らせる天台宗僧侶のイメージ。そのような状況の中地域の天台宗寺院による迫害が始まりました。

農民信徒たちに迫る兵のイメージ。弘安2年(1279年)9月21日。

連行される農民信徒たちのイメージ。熱原の農民信徒20人が、無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されます。

取り調べを受ける農民信徒たちのイメージ。農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受けます。

脅しを受ける農民信徒のイメージ。平左衛門尉は法華経の信心を捨てるよう脅します。

信心を貫く決意を表す農民信徒のイメージ。しかし、全員が屈することなく、信仰を貫き通しました。

熱原の法難の説明。神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残る17人は居住地を追放されました。

南条時光のイメージ。熱原の法難には大聖人門下一同が異体同心の信心で戦いました。近隣の若き門下・南条時光も同志を守る活躍をします。大聖人は農民門下の不惜身命の姿に民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられます。

民衆仏法の開幕のイメージ。大聖人の民衆仏法が現実のものとなったのです。そのことを「聖人御難事」でご自身がこの世に出現した目的(出世の本懐)として示されました。仏法の肝要を知る智者となってすべての人を苦悩から根本的に救うという大聖人の若き日の請願はここに達成されました。

青空と門下のイメージ。弘安5年(1282年)9月9年間住まわれた身延を発たれます。そして武蔵国池上(東京都大田区)にある池上宗仲の屋敷に滞在。病を押して、門下に対し「立正安国論」を講義されたと伝えられています。

太陽の光と大聖人のイメージ。弘安5年(1282年)10月13日、大聖人は御入滅されます。全人類の不幸を根絶しすべての人々に仏の境涯を開かせたいとの請願と慈悲に貫かれた御生涯でした。

大聖人の広宣流布の精神と行動は日興上人に託されました。大聖人が著されたすべての著述を「御書」として大切にされたのも日興上人です。

全世界の同志が御書を学ぶイメージ。日興上人は、世界広宣流布の時には御書を翻訳し、中国、インド、世界へ広めていきなさいと指南されました。今や御書は、英語、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語などに翻訳され世界の人々が拝読するようになっています。